猛吹雪(2)

 この集落を超して覆道、トンネルを抜ければ家に着く、と慎重に運転していたらエンジンが弱々しくなりついには動かなくなってしまった。原因はすぐわかった。とろとろ運転を長く続けているにもかかわらず気持ちが焦ってアクセルに力が入ってしまっていたのだろう、プラグが濡れてしまったのだ。運転初心者として何度か経験していたのでしばらく休んでプラグが乾けばまた走ることが出来るのは知っていた。
 相変わらず吹雪いていたが、人家のあるところだし対向車もいなかったので車は道の真ん中を走っておりそこで止まっていた。ギアをはずして外に出てコートを着た。運転席のウインドゥを下ろし左手でハンドルを切り右手で窓枠に手をかけ体で押しながら左側に寄せ始めた。前方の坂の上から対向車の明かりが吹雪越しに見えた。結構なスピードで下りてくる。私の車はすでに左車線に入っていたし私は体をぴったり車によせてやりすごそうとした。しかし、対向車は少し斜めになっていた私の車の右フェンダーにぶつかり私をはねとばして大きく道路の右側に鼻をつっこむように止まった。飛ばされた私は明らかに何メートルか宙を飛んで道路に尻から落ちた。
 私は起きあがれる自分を疑いながら起きあがった。ぶつかったのは右大腿部の外側、着ていたコートが厚いクッションになったか痛みはあったが歩けた。「何してんのよう」こっちが言いたい台詞だったが事情を説明した。私の車はライトを消していたしこの吹雪では見えずらかったのはわかると内心思ったからだ。相手は「俺も少し飲んでいたし全然見えなかった」と言い訳した。正直な男だった。吹雪の中だったし、夜も遅かった。私は自分で自分を大丈夫かなと思いながらも運転して帰れそうだったので、車のナンバーと相手の住所名前を書いてもらい、明日寿都警察署で会うと云うことで分かれた。
 もし相手がもう少し速く気づいて車にぶつからなかったら私は跳ね飛ばされ車に轢かれたかもしれない。さらにもう少し早く気づいて私を車と車に挟むように走り抜けたら私の下半身はぐしゃぐしゃになっていたかもしれない。と思うと天気予報を甘く見た私のうかつさが恐ろしかった。地形のせいか吹雪きは和らいでいた。いろんな事に緊張し疲れ切って家に着いた。
話す相手もいないその夜何度も何度も恐怖を反芻していたことを覚えている。
 翌日、傷ついた車を走らせ寿都病院で受診後寿都署に行った。骨にはひびも入っていず打撲だけだった。コートのおかげばかりではない、私が飛ばされる直前車にぶつかっていたりブレーキによってスピードが落ちていたためもあってこの程度で済んだのだろう。病院もその後は行かなかった。警察は私のけがが大ごとにならずに済みそうだとわかり示談をすすめた。40年前の飲酒運転はそんなていどだった。車の修理費と今後この事故が原因で医療費がかかることがあったら全額負担するという文書を書いてもらった。私にも落ち度があったことだがやはり飲酒運転と云うことが大きかったのだろう相手も納得した。
 40年前の恐怖の一夜は幸い何の後遺症もなく済んだが吹雪を甘く見ては行けない。私の場合次は三度目になる。