クライストチャーチ・地震(3)

 ある小学校の養護教諭が保健室に、普段教材室で眠っている大きな地球儀を置いた。怪我で来た子や具合の悪い子が何の気無しに見たり、回したり、ニュースで聞いた国や街を探したりするという。
 地球儀を見れば日本が世界の中心でないことは一目瞭然である。地球儀を回せば自分が住んでいる地球が宇宙に浮く一つの星であることが実感できる。国や街を探せば自分の住む日本との距離感や位置感覚を研ぐことになるだろう。
 国際感覚を育てようと教科として英語を教えるよりももっと簡単でそして事前にしなければならないことはたくさんあるような気がする。外国に行けば言葉なんかすぐ覚えてしまうだろう。小学校での教科英語に予想される多くの無駄を思えば、たくさんの若い人を海外に送り出すことにお金を使う方が効果的に思える。
 親の心配を超えて、親の手元を離れて国際的な場に自分の夢の実現を求めた若者の死に心から哀悼の気持ちを捧げたい。そして志半ばで命を奪われた留学生の悔しさを思わずには居られない。しかし、次に続く人たちが臆することなく異国に自己実現の場を求めて欲しいとも思う。なにも異国の地にこだわるのではない。何処の場所にでもある国際理解のチャンスを大事にすることが今回の犠牲を悼むことになるのだと強く思うからである。
 国際理解が広まり深まることしか世界平和に繋がる道はないと思う。クライストチャーチに罪はない。