クライストチャーチ・地震(1)

   日本の春を遙かに地震無残   未曉
 「クライストチャーチで大地震。日本人の若者被災」このニュースを二つの点で少し身近に感じた。僅か十時間だが、クライストチャーチに行ったことがあるということがその一つだ。
 2003年1月、ルートバーントレッキングの付録として、Mtクックをフッカー氷河湖まで行って見てきた。その後ハミテージホテルを昼に出て日本語バスガイドの軽妙なニュージーランド案内を楽しみながらクライストチャーチに着いたのは夕方7時頃だった。セントラというホテルで、大聖堂が近いと言うことだった。
 《小雨降るセントラホテル着。8時ラッツィオ(レストラン)でツアーの解団式を兼ねての夕食。ビール、ワイン、サーモンサラダトマトスープ、海老、ガーリックトースト、デザート。出ると薄暮クライストチャーチ。ほとんどの店が閉まっている。翌朝5時起床を考えそのままホテルに戻り帰り支度のパッキング。10時半就寝。》
 と旅行メモに書いてある。食べたものは書いているが町の様子や多分見たと思う大聖堂のこともなにも書いていない。ただ、この度の地震の報を聞いたとき真っ先に石畳み風の道や石造り風の町並みを思い浮かべたから、印象としてはヨーロッパの歴史のある街のイメージを持っていたのだろうと思う。
 地震でそれが毀れた。街が毀れたことよりも日本人が、それも勉強中の若者がそこで被災したことに思うことは多い。もう一つはそのことである