車で奥のほそ道・中尊寺

 前日は、一関に着いた芭蕉曽良が二泊した「二夜庵」を訪ねてから猊鼻渓の道の駅で泊まった。早朝、いつ降り出してもおかしくないような空模様の下、平泉へ向かった。小雨が降り、そして止んだ。

                        無量光院の跡

 中尊寺の駐車場はまだ車もなく、停めてもいいのかなと思いつつ広い駐車場の真ん中に車を置いた。小屋はあるが係の人もいない。家族旅行できたときの記憶が蘇る中参道を登った。美しく整備された朝の参道が雨の止み間にすがすがしい。仙台で買った紺色のジャンパーが落ち着かせてくれる。蛍光色っぽいオレンジヤッケで雲厳時を訪れたときとはちがう。歩もちがってくる。
 芭蕉は、奥州藤原三代の栄華をしのび、義経終焉の地に想いをよせて平泉まで来た。「三代の榮耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。」と杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草みたり」を引いて高舘から見たその荒廃に落胆している。
   夏草や兵どもが夢の跡  芭蕉
 と詠んでいる。
 「かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七道散りうせて珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて既に退廃空虚の叢となるべきを、四面新に囲みて甍を覆ひて風雨を凌ぐ。暫時、千歳の記念とはなれり。」と荒廃の中にありながら、覆い堂によって金色堂が残されたことを喜んでいる。「降りのこしてや」の意味の大きさ、五月雨にも大きな想いのあることに気づかされる。
   五月雨の降りのこしてや光堂  芭蕉