車で奥のほそ道・中尊寺(後)

 金色堂の拝観できる8時まで境内を歩かせて貰った。朝のお勤めだろうか、木魚も聞こえる。ちらほろ観光客も見えてきた。日が昇ってきたのか曇り空も明るくなってきた。そこから小雨が落ちてきた。また晴れる雨だろうと本堂から薬師堂、旧覆堂を見せて貰った。杉木立の奥に入っていくと能舞台があった。金色堂が開いた。金色は余り好きではないが、建物全てが金色に輝く様は見る者に信仰心に近い気持ちを起こさせる。女の人が大きな花生けに花を飾っている。この金色に輝く御堂の中の大きな三体の仏像の前に花を生けるには相当なエネルギーが要るだろう。能舞台と言いこの金色堂と言い、奥州藤原氏が京都や鎌倉をどう思っていたか考えさせられる。義経もそこに組み込まれて行ったのだろう。花を生けていた人が剪った葉や枝を脇にはさみ鋏を腰に仕舞い、合唱のまま深々と一礼して終わった。時間までも金色に染まっているような静かな朝である。
 外に出た。金色のせいかいっそう明るくなったように見えた空だったが、やはり雨は降っていた。この雨は五月雨とはいわないかもしれないが
    五月雨の音縦糸に朝勤行   未曉
 芭蕉の北上はここから南下にかわり鳴子に向かう。私の家は当時歌枕も途絶えたもっと北にある。国道4号線を右折したところで私の「車で奥のほそ道」は終わった。