我が家大整理(前)

 昨日から故あって家の大整理をやっている。ゴールデンウィーク返上と言うか、ゴールデンウィークだから取りかかることができた宿年の大事業である。
 我が家に「小屋裏部屋」と呼ばれる部屋がある。家を建ててくれた会社が「家の構造上、天井は傾斜するけれど8畳くらいの部屋がもう一部屋作れますよ」という。税務署の査定が終わってから壁にドアを付け内装してもらった。狭いところの方が落ち着く私としては好きな空間である。私の鼾が家族を困らせた一時期、私のベッドを置いたり、留学生を一ヶ月ホームステイさせたり活躍した部屋である。
 しかし、そのうちに主たる居住部分から追いやられた「使わなくなった物」「いつか読む事があるかもしれない本」「もったいない物」「懐かしい物」「もらい物」「退職後に生き甲斐となりうる道具や参考資料」…などで次第にふさがり、最後には足の踏み場もないくらいになってしまった。都会では一部屋に月何万円もかかるご時世に今使わない物で部屋を塞いでいるのはそれこそもったいない極みである。
 整理といっても限られた家の中で置き換える場所があるわけではない。整理は棄てることから始まる。そして棄てることは分別から始まり、分別は二つの大きな関門をくぐり抜けなければならない。一つは「もったいない関門であり、もう一つは市民としての「ゴミ分別関門」である。
 その大きな関門が「もったいない関門」であることは云うまでもない。なぜなら「もったいない」と思う故にこの状態になったのだから、20年積み重なった「もったいない」と戦うことになるのだ。考えた以上に大変な作業になった。私などは、その時は「もったいない」ととっておいて、場所も、とっておいたと云うことさえも忘れてしまうから、分別の際の心の痛みはそれほどでもないが、妻はこれだけの物の中の何処に何があるかまで知っていて、必要になると、どこからか取り出してくる能力も自信もあるから棄てるときに悩みも大きいようだ。