今日、お雛様を仕舞った。
 クリスマスだ、バレンタインだ、ハロウィンだ、はては復活祭の卵作りだと外国のお祭りに現を抜かす風潮に、日本の伝統祭事に頑固になることでさからっている。「典型的な年寄り思考」と妻などには見られていると思うが実は句作りのためである。
 日本の祭事は信仰心よりも季節感がより人々の心を捕らえ続いてきたように思う。どんな小さな祭事でも歳時記にとり上げられている。地域特有のものも「季語」として認めようという動きもある。だから雛祭りの句を作るためには雛祭りに浸る必要があると思っている。
 今年は、お雛様を飾り、菜の花を供え、桜餅とうぐいす餅を食べ、半日もかけてちらし寿司を作って今日雛納めをした。
  雨に出し雨に納めて雛祭り    未曉
 どういうわけかクリスマスもハロウィンも歳時記に載っている。子どもが小さいときに用意した作り物のツリーはあるがクリスマスをやるつもりはない。つまりもう一皮剥けば、句作のためのように装っているがやはり日本の祭事にこだわっている「頑固」なのである。年を取ると複雑になるのだ。