山本乙女・黒い薬(1)

 私が中学生の頃になると男の子3人は金はかかるが手はかからなくなった。するとおばあちゃんは山へ行きだした。登山ではない。いわゆる山菜採りである。天気さえ良ければ毎日のように山へ出かけていた。大きな布を折りたたんで背中にくくりつけて出かけ、帰りはそれがおばあちゃんの小さな背中を隠すほどの大きな袋になっていた。ふき、ワラビ、ゼンマイ、ヨモギ、タケノコ、茸、栗、こくわ、山菜などと言う言葉以前に季節ごとの山の食べられるもののほとんどをおばちゃんの足と背中と知恵のおかげで食べていた。今から思えば本当に恥ずかしい話だが当たり前のように食べていた。「また今日も、蕗のみそ汁かー」と言ってすぐ上の兄貴にぼかっとぶん殴られて「いやだったら食うな」と怒られたこともあるほど馬鹿な孫だった。
 学校から帰ると、居間である板の間の半分を占領して採ってきた物の後始末をしているおばあちゃんがいた。外の流しで洗う物、干す物、漬ける物、捨てる物…あの時一緒に手伝ったりしていればもっと色んな智恵を聞けていたかもしれないとつくづく思う。おばあちゃんは無口ではないが、よけいなことは喋らない人だった。だから、採ってきた山菜が何処にどんな風におがっていたかなど話す人ではなかった。もちろん孫を捕まえて教えたがることなど全くなかった。聞けば教えてくれたと思うが…。本当に馬鹿な孫である。
 さすが冬になるとおばちゃんの山行きは出来なくなる。すると始まるのが薬作りである。昔使っていた釜をストーブにセットし、採ってきて干してあった枯れ草をその中にいれぐつぐつ煮出し始める。ゲンノショウコと言っていたような気がする。煮汁が赤くなり強烈な臭いが家中に籠もる。薬になると分かっているからかもしれないが、我が家では不思議なことにこういう非日常的な臭いが発せられても誰も文句を言わない。一日中燃えているストーブの上で一日中ゲンノショウコの煮汁は煎じ詰められていく。水分が少なくなってとろみが出てくると釜を遠火にして焦がさないように更に煮詰める。その頃には真っ黒になっている。釜一杯のゲンノショウコが小瓶一つに詰められて薬作りが終わる。臭いだけは家から抜けるまでに数日かかる。もしかしたら抜けたのではなく、我が家の臭いになってしまって私達が感じなくなったのかもしれない。