天塩岳・沼の平

 泊に使ったものを積み込もうとしたら車の窓はがっちり凍っていた。放射冷却もあるのだろう。前日降りてきた人は雨にも降られたし展望も良くなかったと言っていたが、今日は絶好の日和である。
 天塩岳ヒュッテの掃除をして、6時13分出発。最初は幅も広くしっかりした道を川に沿って歩き、橋を渡って進んだ。Kaリーダーの歩調がいつもより少し速い気がする。Kaリーダーも初めての山だというし、長い道中なので進めるめる内に進みたいという算段かもしれない。それとも近頃怠けた私の体がついていけないだけなのかもしれない。花もほとんど終わっていて、花撮影タイムもない。新道への連絡路との分岐に着た頃にはしばらく振りに息が上がっていた。朝早かったし、未だ陽差しが弱い。木が生い茂った谷沿いの道なので日光が和らげられている。その文楽だが、それでも旧道への分岐地点ではフリースを脱ぎヤッケを脱いでいた。
 その分岐を過ぎると前天塩岳へのジグ登りが続く。周りの景色を見るふりして休もうと思うが、紅葉ももう少し高度が上がらないと色づきが薄くて元気な人の足を止めるほどではない。しかし高度を上げると沢を挿んで天塩岳の斜面の紅葉が色濃く見えるようになってきた。自分の足元の斜面も黄色が日の光に鮮やかになっている。息苦しさは無くなったが足が付いてこない。やっとの事で這松帯にでた。展望も良く風も通っているが足元がガレ石になった。大きなガレ石ではないが不安定さをカバーしようと細かい筋肉を使い出すとますます足に来る。余市岳で見たように這松が白骨化している。ここも山火事で這松が焼けてしまったそうだ。ガレ場の直登になった。頂上が近いのはわかるが遠い。一面ガレ石だが道はあるようだ。その道を辿るようにすることで少し安定した歩きが出来るような気がする。先行者が見えなくなった。ピークか?声がない。ちがうらしい。あそこまで登っても少し平らになって頂上は未だ先だろう。がっかりするより期待しない方が良い。登りはまだまだ続くのだ。などと精神論で自分の足を前に出し続けた。
 前天塩岳頂上に着いた人たちを撮すという名目で歩きを止めた。一呼吸置いてから仲間がゆったりと時間を過ごしている中に入っていった。天塩岳へコルを降りて稜線上の道が続いている。どっしりとした感じの天塩岳が南にあるが後は360度大展望である。朝早かったので半分昼食を食べた後そのコルへ下り、天塩岳に向かった。
 もう少しでコル最低部へ着くと云うときにいつもの右太股の内転筋が吊りだした。話していたNiさんへの返事がいい加減になる。薬を塗ろうと最低部でリーダーに言うと、リーダーが指圧してくれた。迷わずツボが押され痛気持ちいい感じになる。楽になり、いつもの薬を塗ったら楽になった。おそるおそる歩き出したら大丈夫のようだ。きっとさっきのガレ場歩きのせいだ。
 いつもは頂上への稜線登りは歩けば着くという感じで上れるのだが、今日は長く感じた。写真も余り写せなかったし、両側の谷の景色も見ていなかった。緊張していたのかもしれない。天塩岳の頂上には新道コースを登ってきた上川町山岳会の人たちがいた。前天塩岳の方が頂上部が狭く高度感があったのに対し、天塩岳は山頂部がなだらかで前天塩岳より頂上感が薄い。どちらを先に上ったかという順序や、上る前の苦しさの違いかもしれない。前天塩岳の頂上への急登路が見える。這松帯を抜けてから真っ直ぐ尖った頂上への道である。あそこ登ったんだーと吊った太股を撫でてしまった。
 記念撮影をし、これから辿る新道コースの途中に見える避難小屋で残りの昼食を採ると言うことで下山を開始した。ガレ石の道が下へ下へと落ちるように続く。足の吊りに気を付けて大きな段差や石に足を置くときは慎重にした。なだらかな稜線上の土の道になった途端、油断してかかとに体重がかかり滑って仰向けにっころんだ。ザックがクッションになったが、尻は尖った石にぶつけた。骨の部分でなくて良かった。
 立派な避難小屋とトイレの前で昼食をとった。食べると言うことは良いことだ。多少遅れても慎重にさえ降りれば良いだろうという考えになり気が楽になった。
 なだらかな丸山を過ぎたがいくら歩いても高度計の表示は少なくならない。ひざの痛みが出てきたKuさんは急斜面を後ろ向きで降りている。私は緊張疲れで集中力を切らさないようにだけ気を付けた。新道から登ってきた旧道への連絡分岐からは少し急勾配で高度を下げた。
 登るとき使った橋を渡り終わったとき緊張感を解き、幅広の造林道跡を少しだらしなく歩いてしまった。
 15時40分ヒュッテの駐車場に到着。今晩泊まる愛山渓へ向かうためすぐ車を出発させる。今まで歩いて全く傷みを感じなかった尻もち痕が運転席に座った途端傷みを感じた。もしかしたら青くなっているかもしれない。
 前天塩岳の頂上感が印象的な登山だった。