我が家は庭を囲むようにL字になっていて、垂直マークのようにウッドデッキがある。断るまでもないが、我が家も庭もウッドデッキも小さい。庭には植えられたもの自然におがって(成長)いるものがあるから当然も四季の変化はしっかりある。しかし、私の場合見えるのは変化が顕著になってからのことが多く、点として季節を読みとるが線としての季節の連続性には疎い。俳句を作ろうとしている人間としてははなはだお粗末な季節観だと思っている。今回も「トマトとインゲンも終わりかぁ」と残念がったりしたが、奥さんがそのあとに大根を植えるのを見なければ採りたての大根おろしの美味しさを思い出せないのである。そのくせ句作に窮すると庭を頼る。
  猫追へば外は惜しむ無き残暑かな   未曉
  干し竿の蜻蛉夕陽に縦並び     未曉