四川大地震から一年(2)

 吉川英治私見として三国志の中の故事から「面子」の言葉の由来を述べている。
 ある折り、呉王孫権が戯れに、一匹の驢馬を宮廷にひき出させ、驢の面に、白粉を塗らせて、それへ、
  諸葛子瑜(しょかつしゆ)
という四文字を書いた。
 けだし、それは、諸葛瑾諸葛亮孔明の兄、呉の国の重臣)の顔が人いちばい長面なのでそれを揶揄して笑ったのである。だが、君公の戯れなので当人も頭をかいて共に苦笑していた。
 すると、父のそばにいたまだ六歳の諸葛格がいきなり筆を持って庭へとび降り、驢の面に背伸びしてその四文字の下へ、また二字をを書き加えた。
 人々が見ると、すなわち、
  諸葛子瑜之驢(しょかつしゆのろ)
と、読まれた。見事からかわれている父の辱ををそそいだのである。(原文のまま)
  吉川英治は、諸葛格の優秀さを現すこの故事を、六歳の子でさえも辱めを嫌う例とし、「面子」を重んじる現今中国の政治につなげて指摘している。
 世界遺産「九賽溝」へ通じるチャン族の集落が大きな被害を受けた。中国政府は復興のシンボルとしてこの街を新しく作り直す計画を立てた。チャン族の石づくりの家並をデザインして集落ごとそっくり観光地化しようというのである。テレビ画面には、国の「面子」が重戦車のごとく震災前は平穏な農村風景を壊していくように見えた。 村長を通して住民に重い負担金を取り立てさせる一方、視察に来た県の役人は「ここに観葉植物を植えろ」などと廃材小屋で暮らしている住民を尻目に部下に命令している。村長は村人の不満を役人に伝えられない。
 村は完成した。温家宝首相が来村して高らかに復興の成果を謳った。上意下達と言うより首脳から村長まで官僚の「面子」が予定よりも二ヶ月早く完成させてしまった。時には誓約書を破り捨てるほど怒っていた村人も新しい家に満面の笑みで暮らし始めた。記者の「沢山の借金を(慣れない)観光業で返していけますか?」という質問にも「頑張ります」と笑顔だった。九賽溝が色あせて感じられた。
 ある山奥の集落では1500人の人たちが何の計画も示されないまま一年を迎えようとしていた。
 天井代わりに張ってあるシートを見ながら、「雨の夜、このシートに当たる雨音を聞きながら眠れぬ夜を過ごす」とつぶやく。四川は雨期のある国である。