四川大地震から一年(1)

 私の年頭の計の一つに「三国志」を読む、というのがあり、吉川英治三国志全5巻」をもう少しで読破しようとしている。「蜀」を善とする、 桃園の契り、三顧の礼赤壁の戦い関羽の知勇、張飛の愚直な蛮勇 劉備元徳の仁政 そして孔明の知謀が織りなす、勧善懲悪に血湧き肉躍らせた少年時代の三国志吉川英治の筆力を借りてもう少し客観的に読み直してみたかったからである。
 三国志を読んで、こんな事を言うのは愚の骨頂だといわれるが、客観が付いていけない記述がたくさんある。時間と空間の表現はあの広大な四川の大地を無視しているし、英雄豪傑に指揮されて戦う名も無き兵士の数と生活と命はわき上がるごとくに生じ、泡のごとくに消えるものとしてしか描かれていない。数万の軍隊が、険しい長江流域数百キロを一行に満たない字数でいとも簡単に移動し、全滅のたった二文字で命が失われるのである。兵士の家族に及ぶ記述は無い。吉川英治のせいではない。元々の原本がそうなのだろうと思うし、歴史を伝えることが豪傑英雄、為政者中心になるのは古今東西を見ても仕方がない。孔明メコンの辺りまで蜀の王権を及ぼそうと軍隊を進める下りは付いていくのがやっとである。途中で地図と合わせるのはやめた。
 昨夜、四川大地震から一年という特別報道番組を見た。
 北海道の面積に匹敵する被災地、8万5千人の犠牲者、犠牲者をがれきの下に残したまま県庁が置かれていたような地方中都市の丸ごと放棄…。映像でさえ映しきれない空間、距離感、数字を受け止めるのは私の想像力では難しいしこれを文章で表すと、きっと三国志のような表記に成らざるを得ないのであろう。そして、被災者の命と生活の扱われ方を見ると中国政府はまさに蜀の国のこの惨事を三国志を語るように後世一行で書き表そうとしているかのように思われる。