四川大地震から一年(3)

 NHKの映像は、大地震から一年後地震でクラスメートの7人を失い、半数が転校を余儀なくされてしまった学級の女教師と子ども達の不幸を乗り越えようと絆を強める姿を追っていた。ほとんど報道されなかった一年を振り返れば、地震後の様子は知りようがなかった。中国政府が外国の取材にどう対応したかが分かる。だからその学級の感動がそのまま被災したどの学校にも当てはまるとは思えない。子どもや先生の表情と言葉だけを頼りに視聴した。
 「地震前のことを思い出そうとしても思い出せない。」「震災前の自分たちのこと、過去が繋がらない。」という女子中学生。地震直後瓦礫の下から助け出したクラスメートが手当を施されないまま死んでいく夜を語る男子中学生、語る内に目は虚ろになっていき、とうてい語れない量の思いを、彼が持っている語彙で絞り出すように話す口が震えていた。腹の底がキュンと締め付けられるような思いになった。
 その学校の先生と国が派遣したカウンセラーとの話し合いの中からそのクラス担任の女教師が、断って退室する。彼女は自分の娘を地震で死なせている。娘が死んだとき彼女は、自分の教え子の救出に走り回っていた。自分の娘の遺体をひととき抱いた後また彼女は、学校の被災現場に戻ったという。「(カウンセラーに)あの時のことを話せば、私の傷口はまた開きます。わたしはそれに耐えられない」彼女は、愛して止まない自分の生徒たちにもその娘のことは話さない。
 三国志は英雄の言葉や戦いぶりに歴史を語らせている。大統領や首相が世界を変えるかのようなヒーロー待望論も盛んである。しかし四川の人たちの震災後の一年をかいま見せて貰って、それは錯覚だと言うことがすぐ分かる。政治や英雄の手の届かないところでも人間は生きて行く。未だ無くならない幾多の戦争に巻き込まれながらも、自然の猛威に呑み込まれながらも、「生きよう」とする人間の強さこそが歴史をつなげてきたのだということが分かる。ただいつも大きな犠牲を払うのは名も無き人間の方だが…。
 人間を日本人というくくりで括ったとき、日本人にその強さはあるだろうか。私にその強さはあるだろうか。そのことが私の腹の底をキュンとさせたような気がした。