成都、都工堰、映秀(2)

 今までの報道の中で、大切にしなければならない二つがある。一つは、中国英字新聞の女性記者が中国政府担当者の記者会見での「この地震で政府の建物の被害は聞かないのになぜ学校の被害がこれだけ聞かされるのか…」と言う質問である。今三日前のその時点よりもさらに被害が深く大きいことがわかってきて、今そのことを論議しているときではなくなってきているが、今の中国の様々な問題に明確に繋がっている質問だと思う。その時政府の担当者は「政府の建物にも被害は出ている…」という馬鹿げたものだったが、中国はこの質問にこれからの歴史をかけて答えるべき問題だと思う。それを私は知った。この質問、国家体制と国民という視点で見るとミャンマーだけでない、日本にも当てはまる。
 もう一つは、北海道新聞の記事の中にあった。壊滅状態の町に救助隊が入ったとき、肉親を押しつぶした瓦礫を前に女性が「ずっとここで待っていた。長い間待っていた」と救助隊の兵士をにらみつけるようにして言ったという記事である。落石や土砂崩れ、道路そのものの崩壊の道を余震による二次被害の危険の中、夜を徹して歩いてたどり着いた救助隊に、そう言わずにいられなかった女性の絶望の時間は想像を超える。その前日、日本の救助隊は中国の要請が無いと言うことで空港で解散していた。その日日本の救助隊が行けたら一つでも救える命が増えたかもしれない。救助隊は、きっと成都まで運んでくれたら歩いてでも…と思っていたに違いない。一人ひとりのレベルでは国や人種や格差を超えて一刻も早く助けたいと思うに違いない。今の国家が一人ひとりをどう見ているか…を如実に知らされた。国家と言うものが人と人の間に差を作り広げているのだ。「ずっとここで待っていた。長い間待っていた」その差は絶望的に大きく見える。地震と言う視点で見れば、これは明日の日本にも当てはまる。
 推計5万人というまとめた数でこの大災害を見るのはやめよう。しかし、為政者はその5万人一人ひとりに死に対し歴史を持って答えなければならない。その意味でこの死者の数の大きさは意味を持つ。
 映秀は人がいなくなったという。私は人が暮らしていた映秀を見たことがある。今は瓦礫の下になっている椅子に座りテーブルの上の料理を犠牲となったかもしれない映秀の人のサービスでいただいたことがある。知っている。だから少し深く知ることが出来たかもしれない。知らせてくれたメディア人たちに感謝するとともに、その人たちが拒否されたり、弾圧されたりすることのないように切望する。
 「知ったこと」でこれからの中国や日本を見ていかなければならないから。