成都、都江堰、映秀(1)

 最初の報道は「中国四川省で大地震が発生、成都の近く都江堰市の学校の校舎が崩壊し5人が死亡した」と言う内容だったと思う。2年前、四姑娘山麓へフラワートレッキングしたときに行き帰り二晩過ごしたのが成都だし行き帰り通過したのが都江堰市で馴染みのある地名だったのでニュースに惹きつけられた。
 次の日には犠牲者の数が一気に増えて5000n人を越えてしまっていた。「被害実態が把握できないのは交通通信網が破壊されたためで、瓦礫の下に閉じ込められたままの人も多く、孤立した被災地の状況が明らかになれば、被害者の数はもっと増えるだろうと思われる」というコメントが付け加えられてである。
 これもわかった。私たちが成都から都江堰市を抜け岷江に沿って山岳地帯に入り日隆に向かった道は、落石がバスのタイヤをこするくらいの道端にどけられたままだったし、窓から顔も出せないほど近い岩壁はそのまま垂直の絶壁になって空に届いていた。下には激流が道路を削るようにぶつかってきていた。何事がなくても、危険がいっぱいにの怖い道路だったからである。対向車も交わせない狭い道がそんな谷底を何十キロも続いているのである。その道がこの地震で寸断されていることは十分わかる。あちこちで護岸工事や道路工事が行われていたがほとんどが重機の乏しい、人力主体の工事のだった。そこで働いている人たちは道路脇にブルーシートで雨を避けるだけの寝場所を作り自炊しているようだった。その人たちも何千人の犠牲者の一人としてこの地震に飲み込まれてしまったのだろうか。
 今朝の新聞には、映秀の航空写真が掲載されていた。この町は成都から都江堰市を過ぎ、我々観光客の持つ地図で見ると九賽溝へ向かう道と、臥龍や四姑娘山へ向かう分岐にある。帰途の昼食で立ち寄った街である。壊滅である。
 最初は通過したことのある地名に半ば知ったかぶりも加わって妻にこの町は…などと言う気持ちだったが、被害が大きく報道されるにつれてすごく軽率なことのような気がしていた。しかし、昨日今日、知ったかぶりはともかくとして「知ること」や「わかること」は行動として何も出来なくても大切なことのような気もしてきた。
 サイクロン被害に対するミャンマー政府の「外国に知られたくない」隠蔽体質に驚かされ、ロシアプーチン体制の言論抑圧姿勢に恐怖を感じる。当の中国も、被災国民の窮状や不満を取り上げるのではなく、救助が成功した感動シーンや救助隊が懸命に活動している様子を報道するようにと中国メディアに要請したと言う。真実を隠し「勝った勝った」「敵の飛行機○機打ち落とした」と言う報道だけ知らされた歴史を持つどこかの国と今同じ道が見えている。