結局、なにもしない一日になってしまった。
 こういう日は句作にも窮するから仕方なく歳時記をめくりだす。父が残した「日本大歳時記」という講談社出版の分厚い歳時記を読み出すと止まらなくなる。日本の言葉の豊かさは汲めども尽きない。私の知らない、体感できてない言葉がほとんどだが、その中から私が詠めそうなもの、感情移入できそうな言葉を見つけて歳時記吟行するのである。
 冬木…。この前のスノーシュートレッキングのとき深雪にラッセル交代の目安とした冬木と、その寒々とした木しか目標とするべきものが無い寂しさ…。
  登り来て冬木の高み風ばかり   未曉
 この重い歳時記を見るのは、居間の大きなテーブルでである。大きな窓から日が差し込んでくる。思うようにいかない句作りに疲れていつのまにか頬杖をついてうとうととしてしまった。
  日向ぼこ掌の陽だまりに顎を乗せ 未曉