雪掻き(5)

 三階の窓からつけ終わった一本道を見る。子どもが登校してくる。私がつけた道を歩いてくる。その後ろを従うように低学年の子が続く。一列になって…とはいかない。
 私がつけた道を無視して追い越す子がいる。雪を蹴っ飛ばして女の子にかけ、追いかけっこが始まる。わざと道のないところに入って、自分のトレースを楽しんでいる子がいる。中には五体投地さながらに倒れこんで自分の人型を見て遊んでいる子がいる。たちまち私がつけた一本道は広げられグジャグジャになってしまう。しかしそれが子どもだと思う。子どもはそうでなければいけないと思う。
 こんなことなら初めから雪掻きをしなくても良かったのに…とは思わない。「私がつけた一本道を忠実に辿って歩いてくれる子がいて、その子を軸におとなしい子、やんちゃな子、障害を持つ子、いろんな子がその子らしく歩くことで左右に大きく広がる道は、私の仕事である教育と重なるのである。今はみんなが学校に向かって歩いてくる。将来この子達が学校より大きい目標に向かって広い道を…。」
 私はそんな自己満足で一日の授業に向かうことができたのである。

 雪が多い地方の人にこんな他の価値と重ね合わせる楽観は許されないだろうが、函館地方の雪が、そんな余裕をもてることに今少し甘えていたい。
 このごろ雪掻きに前ほどのパワーが出てこない。年令の所為だろう。その分時間をかけられるので自己満足だけはできているが…。そのうち「今日も雪かー」とため息をつく日が来るだろう。2年前雪掻きで腰を傷めたときそんな将来が現実として思われた。そして地球温暖化現象の所為か、雪の降り方にリズム感や優しさがなくなってきた。歳を取ってくるとそういうことへの対応も難しくなって来る。でも、雪の害の心配がある地方の方々にはすまないが、もう少し「雪掻きは楽しい」と言わせておいてもらいたい。