駒ケ岳・と私

 もともと駒ケ岳は遠足などで大沼に行ったときに「かわった形の山だなぁ」「でもきれいだなぁ」位の山だった。函館に転勤してきて高学年を担任しその遠足で最初に登ったときも、日光を防いでくれる樹木の無い暑いだけの山の印象しかなかった。滑りやすい火山礫の山道を走り降りようとするクラスの子を注意しっぱなしだった印象の方が強い。その後は中学年の担任が多く登る機会は無かった。
 次の学校で同じ学年を組んだYamaさんからヒマラヤの話を聞いたり、山の会の日高縦走の様子を聞くうちに[肉眼でエヴェレストを見る]という夢が芽生えた。そのころ同じ職場のSaさんという女性が自分の所属する山岳会でヒマラヤの山に登る計画があり、そのために毎日曜日トレーニングのために駒ケ岳登山をしていると言う話を聞いた。ヒマラヤの山に登る気は無いが、エヴェレストが見たいという夢を持っている私には、トレーニング登山は必要に思えたしその分駒ケ岳は少し身近な山として聳えだした。
 Yamaさんから「エヴェレスト街道トレッキング」の誘いがあった。登ることはもちろん歩くことにも不安はあるし、高山病も気になる。調べたら往復同じ道を通るという。歩けなくなったらそこに置いていってもらって、帰りに拾ってもらう手もあるなとその覚悟で誘いに乗った。「さぁ夢がかなう。駒ヶ岳でトレーニングだ」と考えたがその頃駒ケ岳は入山禁止になっていた。屋根はあるが梯子が無いようなものだ。他の山は…と考えたが、登山口すらわからない。熊が怖い。道に迷う心配もある。梯子どころか踏み台すら見つけられないでいた。考えてみれば私にとって駒ケ岳はすばらしい梯子だったのだ。登山口はわかっている。熊がいない。天気さえよければ道に迷う心配は無い。もう一つこの条件を満たす函館山をトレーニングの山と決めざるを得なかった。
 幸い、Yamaさんがいろんなところにトレーニング登山を設定してくれてエヴェレストを肉眼で見ることができた。
 駒ケ岳は私が勝手に決めたエヴェレストを見に行くための梯子だったが、入山禁止で登られなかったため心のどこかで「夢を実現するためのきちんとした梯子をのぼっていない」後ろめたさを感じていた。ルートバーントレッキングを経験し、ランタン谷を歩き、プーンヒルからの絶景を堪能し、旭岳を踏んだ。屋根が美しく高くなった分梯子を登っていないという「地に着いていない」感は強くなる。
 考えれば駒ケ岳と言う梯子だけではなく、山登り愛好者として登るべきそのほかの梯子も登っていないのではないだろうか。岩崎元郎さんの著書に「登山不適格者」と言う言葉がある。私はその言葉に近いと思っている。だからといって山歩きを止める気は無い。「不適格者という自覚で登る」ことだと思っている。
 21日の駒ケ岳登山は数多い未通過梯子の一つを登ることができる喜びで登るのだ。