かけそばの値段

 金が無い。有った。ジャージのズボンの右ポケットで硬貨の触れ合う音がした。600円のはずだ。出かける前に、財布に入れようと机の上に有ったものをポケットに入れたものだが、肝心の財布を持つのを忘れた。だからこの600円しかな無い。義父と義母を椴法華に送った帰り函館市街に入ればちょうど11時頃になる。帰り道だししばらくぶりに神山「月の庵」に寄って十割のかけそばを食べようと思ったのである。
 車で送っていくだけだったので、お金の必要性を感じなかったことが財布をわすれさせたのだろう。運転席から探せる範囲を全部探したが見つからない。正月前、車を掃除した時にいくらか散らばっていた小銭も全部回収していたので、見事に一銭も無い。車に置きっぱなしの免許証入れに入れておいた1000円もこの間使ってしまい、入れておこうと思っていたがそのままだった。結局、右ポケットの600円が全財産と言うことだ。湯の川の入り口でお金を探すのをあきらめた。
 「月の庵」はもり蕎麦は食べていたけれど掛け蕎麦は食べていない。チャンスがあったら掛け蕎麦もと思っていた。ほとんどの店はもり蕎麦とかけそばの値段は同じだ。一生懸命その値段を思い出そうとしたが思い出せない。たしか、余計なものが付いていて、私の蕎麦の道にそぐわないと言う思いをした気もするがそれも具体的には思い出せない。
 手打ち蕎麦で500円の店はそう多くは無い。また高くても1000円を越すことも無い。経験的には600円の店が多い。さあ「月の庵」」はどうだろう。この頃の蕎麦屋さんは壁の品書きや値札が無いので、入って席に座りメニューを見てからでなければ食べられるかどうか分かない。値段が600円以上だとそのまま出てくることになる。それはとっても恥ずかしい。600円で迷うと言うのは、私の手打ち蕎麦の値段の基準が600円から700円だと言うことだろう。900円でも洞爺「達磨」や安曇野「翁」は、味はもちろん窓外の借景、店の雰囲気、サービス、そして立地条件を考えると高いと思わない。薄暗い蔵の中で食べると言うコンセプトだけで「800円も取られる」と感じる店もある。蕎麦屋さんには悪いが、私は、蕎麦は安くあるべきだという思いがある。それを基本に本州も含めあちこちの蕎麦を食べてきた基準が600円から700円なのである。
 結局、右ポケットの600円を撫でながら月の庵を横目で見ながら通り過ぎた。私の安めの基準を信用できなかったことになる。「元教師、無銭飲食で交番へ」という新聞見出しも頭を過ぎってしまったし…。
 帰宅し、干し蕎麦を茹でるお湯を沸かしながら、このブログの「月の庵」を調べたら、もり蕎麦735円とあった。そして食後のコーヒーのサービスを断ったとも書いてあった。「コーヒーのサービスを抜いたら600円だよな」と思いながら、「入らなくて良かった」と思ったのである。