「正覚庵」札幌中央

 南郷通りの蕎麦屋さんが二軒とも休みで無駄足だったので正覚庵を目指した。ここは札幌の定宿ユニオンの近くなので、駄目でも大きな無駄足にはならないなどと変な慰めを思いながら厚生年金会館裏ヘの道を歩いた。ここも探すことなく見つかった。マンションの1階蕎麦屋らしくできないまま店を出している与な感じがする。サッシの引き戸を開けて入ると右側にL字のカウンターがあり、いつものようにエル字の筆末、壁際に陣取った。カウンターの中は配膳スペースのようだが使われていない。もしかしたら当初は調理場だったのかもしれない。調理場はその奥の伸びた所にある。椅子席が3つ。奥は小上がりで座卓が2つ店の左側を占めている。
 「卵割る」「ハイ」「電話の客は?」「もうじき来ると思います」「もうじきじゃぁわからない」「はい」「できた。だして」「はい」「ハイって返事したら動け」「はい」…。釜前を動かない店主と、その他の一切をこまごまと処理している女の人との会話である。女の人は鈍いのではない。客の注文をきき、テーブルをきれいにし、できたものを配膳し、客に応対し、ときには調理場で卵を割ったりレジをしたりして、休みなく手際よくこなしているのである。1人でである。だから、店主が低く鋭く言うのが聞こえてしまうとハッとするが女の人の返事が明るくはっきりしているので救われる。夫婦だろうか、店主と使用人だろうかなどと考えているうちに頼んだもり蕎麦が来た。出された蕎麦もなんとなく素っ気無い。周りの人たちはみんな鍋焼うどんを食べている。さもここの名物は蕎麦なんかじゃなくて鍋焼きだよとでも言うような感じで…。
 しかし蕎麦は美味しかった。二八だと思うが味も香りも口に広がるし、その口触りも蕎麦特有のものを楽しみながら食べることができた。500円。かけ蕎麦もと思ったがもう一軒行きたいのでがまんした。蕎麦湯も重くたれを全部いただいてしまった。帰り、女の人の「ありがとうございます」は気持ちよく聞こえたが、店主のはついに聞こえなかった。でも、裏を返しそうな気がする。