「弥助」羽後(3)

takasare2005-07-11

「冷やがけ」が来た。写真を撮ろうとしたが気恥ずかしさも残っているし、第一店の雰囲気にそぐわない。蕎麦がくるまでははりきっていたが、いざとなるとちょんまげの客が似合いそうな店にデジタルカメラは目立ち過ぎるだろう。少し躊躇したが、恥は一時とばかりにシャッターを押した。すると、フラッシュがチカチカまたたきだした。めだつと思ってあせってうろたえたら一瞬手ぶれをしてしまった。そうっと周りをうかがうと特に目を向けている人もいない。そして少し安心して撮った写真がこの一杯である。それでも、丼の手前が切れている。小心者の動揺が写っている。
 うまい蕎麦だ。
 蕎麦の通は、「蕎麦はのむもんだ」と言うらしいが、私は蕎麦をかむ。もそもそ口の中に押し込めるようにはかまないが、蕎麦の歯ごたえや、味、香りを楽しむ程度に数回かむ。
 「弥助そばの冷やがけ」は、初夏の暑さの中すうっと口に馴染む。かむと蕎麦特有の香りや味が口に広がる。そしてのどを通り過ぎる。そのときすでに箸は、2、3度動いて次に口に入れる適量をすくっている。
かけ汁はかけ蕎麦の甘汁をただ冷やしているのではなく、きっと専用に仕込んでいるのだろう。辛くなく、甘うすいわけでもなく蕎麦の味を引き立てている。蕎麦の味、蕎麦の食感を楽しめる一杯だった。
 これで450円。旅2日目にして、「たかが蕎麦されど蕎麦」という蕎麦に巡り会えたのかもしれない。
 東北の片隅の小さな町、古いたたずまいの店構え、駐車場もないのに客で賑わい、名物が看板どおりにうまくて、客がそろってそれを食う。一口ずつ箸をおくような上品な食べ方よりも、一気に食べる方が似合う。腹一杯になると言うより、蕎麦の余韻を楽しめる…。そんな蕎麦を食べることができた。
 その夜、東由利町の道の駅に車を泊めた。眠るまでの一時、今回の旅のテーマ「たかが蕎麦、されど蕎麦」の仮説が立てられたような気がした。