ときしらず

私が最初に覚えた花の名が「ときしらず」だったかもしれない。チューリップはそれよりはやいかもしれないが、チューリップは実物よりも描く花として、花の代名詞的に覚えていたので、地に咲くとか育つとか枯れる「花」という意味では「ときしらず」がそうだったような気がする。戦後の住宅難を経てやっと建てた我が家の玄関先にそれは母の手によって植えられた。玄関から道路まで3間、巾1間くらいの小径の両側に植えられ、花が咲いたときに母に「ときしらず」という花名を教えて貰った。花期が長かったせいか、小学校高学年の男の子にはすぐ新鮮味は無くなったが、あのときのことを思い出すと当たり前のようにその情景の中に咲いている花である。

昨日妻と娘が近くの園芸店に肥料を買いに行ったついでに以前話したことを覚えていたらしく、「おばあちゃんが植えていた」として三株の花苗を買ってきた。娘はデージーという名で植えていた。私は、すっかり園芸種として華やかになっていたが「ときしらず」という名でそれを見ていた。すぐネットで調べる娘は「ときしらず」での検索に鮭の写真が続々画面に出てきて驚いただろう。

 歳時記にはデージーの傍題として残っていた。

 デージ-とこじゃれてみてもときしらず   未曉