時雨
今更ながら温暖化を感じる。科学的に数字化されたデーターが時折示されるが、俳句なんぞをやっているせいか、私の場合五感を通して体感的である。
雪が重くどか雪に成りがち…。
北海道に顕著でなかった梅雨が蝦夷梅雨の名で…。
夏の暑さが異常…。
北海道の稲作に冷害が無くなり、かつ道産米がおいしくなった…。等々
そして秋の雨の次は雪になるのが北海道だったが、今その間に「時雨」という雨が降るようになった…と感じている。俳句は和歌から派生していて、その和歌は近畿に日本の中心があった頃の発生だから、季語はその辺りのその頃の季節感を本意としている。だから私が俳句を始めた頃は「季語と北海道の季節感は合わねぇ」などとぼやいていたのにわずか30年で今は「時雨」の句が詠める。温暖化は急なのかもしれない。
時雨るるや蕎麦前温むあてもなし 未曉
街灯を繋ぐ家路や夕時雨 未曉