閉店(一)

 札幌に行くと必ず食べに行く蕎麦屋がある。「草庵」という。十年前初めて行った時を当時のブログにこんな風に書いている。 
 
 (前略)11時半になっているし「開店したな」と思って入った。するとさっきの女性が「後2〜3分お待ちください」と入り口のベンチに座らされた。「さっき人が入っていたのにな」と思いながらガラス戸ごしに店の中を覗くとカウンター席にやはり一人座っている。高々と蕎麦を啜りこむ音もする。きっと特別な客なんだなと思い待っていた。ほどなくさっきの女性が暖簾を持ってきて外に掛けた。(そうか暖簾が出る前に入ってしまったんだ)と思いながらもいっそう先客が不審だった。しかし、入った店内には客はいなかった。先ほどからの接客の女性と、調理場に店主らしい男の人が一人いるだけである。すると、蕎麦を啜っていたのは、店主と言うことになる。客を入れる前に、今日の蕎麦を確かめたのだろうか。とすればその職人気質期待できる。そのほかにも私が気に入ったことがいくつかあった。
 店の中は、低めの逆コの字型のカウンター(12席)がメインで、入り口わきに申し訳程度の卓が一つある。カウンターの前にはめ殺しの細長い窓のある壁があって調理場との境になっている。蕎麦屋に限らず調理場は見える方が好きだ。職人さんの仕事は見ていて楽しい。
 私と後から来た一人が待合のベンチに座っていて店内に案内されたとき、待たせた二人の席をちゃんと作っていてくれた。カウンター席には12の椅子に合わせて12のお盆が置かれていたが、中央の一席離したお盆にはすでにメニューが一冊ずつとお絞りが置かれていた。まるで、招待されたような客のような気分になった。(中略)
「蕎麦だっ」と思う。打たれ、茹でられているのにそば粉を感じることができる。そば粉が活きている。きっと打ちすぎ茹ですぎていないのだ。二口そのまま食べた。口一杯に蕎麦の味が広がり、鼻にかおりが通っていく。小ぶりの笊に盛られて出てきたときは、少ない感じがしたが、その量で十分味わえた気がした。少ない量で満足できたのは初めてだ。辛汁も少なかったが、辛目で蕎麦に少しつけるだけで十分だったし、濃く白濁した蕎麦湯で割り飲むことまで計ったような量だった。久し振りに掛け蕎麦を追加した。美味しいせいろを食べさせる店は往々にして掛けそばを作らないが、ここにはあった。(後略)

 コンサドーレ観戦に頼まれ買い物をくっつけるいつもの札幌日帰り旅行。かさばる買い物を今日はザックに背負い、草庵につく頃に開店時間だろうと目論んで地下鉄東西線に乗る。円山公園駅で降り21丁目駅方向に戻る。雪に変わろうかという雨の中を歩かなければならないが、草庵の蕎麦が食べられると思えばたいしたことではない。居酒屋を越した角を曲がったマンションの一階…
 しかしそこは小洒落たパン屋さんになってしまっていた。

 おととしの新蕎麦の頃だったと思う。
 草木染めの薄い生地のゆったりした暖簾をくぐって中に入る。カウンターには暖簾と同じような色の四角いお盆が割り箸を手前に乗せて客を待っている。いつもは昼に来るから客がいるが、今日は夕方五時と言う時間のせいか客は誰もいないし、昼時はいる接客の女性もいない。「いらっしゃい」という店主のきこえるか聞こえない声がする。いつものように入り口から遠い逆コの字の付け根、左肩に壁が近い席に座った。 
 道東へ車で旅をしそのまま帰るには疲れているし、草庵で蕎麦前を楽しむということを思いついとたんハンドルは札幌に向いてしまったのだ。安いホテルもとれて五時の開店に併せてくぐった暖簾だった。