涼し

 今回の四国旅行の細かな計画は私が立てた。そこに祖谷渓谷ドライブを忍び込ませた。「祖谷渓谷へ行ってかずら橋を渡ろう」というキャッチフレーズで粉飾しながらそこの祖谷蕎麦を食べるのが目的だった。
 どういう造山活動の故かわからないが四国の山は海岸から少し走っただけで深山の様相を呈する。金比羅山から瀬戸内の海を見て、一時間も走ったらもう大歩危小歩危の峡谷が見え出した。その深い谷に沿って道があり、民家が谷側にせり出すようにその道に沿って続く。崖側に家はない。展望所はもちろん車を止める余地もない。歩いて家々の隙間からでも覗かなければ峡谷美は楽しめないようだ。ここに家を建てて住まなければならなかった状況を思い知らされた。対岸の急斜面にも民家が点在する。さらに奥へ車を走らせたあたりが平家の落人集落だとガイドブックにあった。はるか上の方にも家があった。「今も人が住んでるのかな」と娘がつぶやく。私はうなづく。
 かずら橋はさらにその奥にあった。大きく斜面を削り駐車場と物産館が観光客のために作られていた。目的の蕎麦屋に駐車場があるはずだからとさらに奥へ進みそこに車を入れた。目的の蕎麦屋は休みだったが、車はそのままにしてまずかずら橋を渡らねば…。かずら橋の10mほど上流にかけられた車も通れる立派な橋の歩道部分を歩いて対岸へ渡りかずら橋のたもとへ、そこに「渡り賃」を取る料金所があり、「途中で引き返してきても料金はお返しできません」と但し書きがあった。
 度胸がある家内はさっさと渡って娘の渡る姿を写真に撮ろうとしている。娘はきゃあきゃあ言いながらも何重にも編み込まれたかずらの欄干にしがみつきながらわたって行く
わたしは「隙間から見えるはるか下の緑の流れから焦点を細い橋板に合わせてそこに土踏まずを載せるようにして歩いた。少し進むと慣れてきて娘を後ろから撮る余裕もできた。心のどこかで「ヒマラヤのトレッキングの時のあの吊り橋に比べれば…」などと比較にならないことを比べて落ち着かせようとしていた。
   涼しさや渡り終へたりかずら橋   未曉
 目当ての店も休みではしょうがない。「祖谷そば」の幟が立っている似たような店構えの隣の店に入った。蕎麦はつなぎのない太いもそもそぶつぶつのいわゆる田舎蕎麦でつゆも醤油味でなく私の好みの蕎麦ではなかったが祖谷渓谷の歴史を具現した蕎麦を食べさせてもらった味わいがあった。祖谷渓谷そのものが蕎麦屋の蕎麦だった。
 崖っぷちに小屋掛け。店先の炉で串刺しのアユが焼かれていた。もちろんそれもいただいた。祖谷渓谷を体感できた。