残花

 「象のはな子の死を悼むタイ」というニュースが流れた。「5月26日64歳で死んだ象のはな子…」のアナウンスに「えっ、まだ生きていたの?」と45年前の花子を思い出してしまった。別な象だろうとは思いつつインターネットで調べたらやはり私が見た象とは別の「象の花子」だった。
 1970年島牧村に一頭の象が、湯治目的で島牧村にやってきた。
 タイから京都動物園へ、その後札幌円山動物園旭川動物園に移され、そこでクル病に罹り立てなくなったため殺処分されることになり剥製業者の信田氏に売却されたが、信田氏は殺すにしのびないと献身的に介護、立てるまでに回復し全国あちこちで子供たちを楽しませていたが今度は骨折、その治療の場を島牧村宮内温泉に求めたのである。島牧村はこれを歓迎、動物愛護、信田さんの献身、象という動物の人気、秘湯と言われる温泉での湯治。話題性には事欠かずテレビ局がニュースとして撮影にやってきた。その美談の上にさらに「地元の子供たちも大歓迎」というストーリーが付け加えられて…。
 教育委員会をとおして学校に協力依頼が来た。ちょうど中学年を受け持っていた私が担当するような形にななった。子供たちに家から果物やパンなど一品ずつ持ってきてもらい、役場が用意してくれたものと合わせて学校から4キロメートル奥の宮内温泉へ向かった。子供たちはもう遠足気分、テレビに移ることの期待感に貸し切りバスは浮かれていた。私も教室でいきさつを含め事前指導はしたが、所詮は大人が作ったお膳立て…押しつけ道徳の感は免れない。
 温泉の前に窪地を作り、温泉を溜めて花子が足をひたしている。そこに子供たちが手に手にプレゼントを持っておそるおそる花子の鼻の前に差し出すシーンが終わると、子供たちは旅館内へ。脱衣所で裸になった男の子は慣れない手つきのタオルで前を隠し、あまり入ったことのない浴槽へ、さも慣れたところのように元気よく飛び込む映像を撮りたいカメラマンの注文に何度かやり直しをさせられている。
 私としては、風邪のこと、帰宅時間のことが気になっていた。
 帰りのバスの中、タイで生まれた花子が寒い北海道で温泉があるとは言いながらこのテントで過ごせるのだろうかと思い、風邪をひく心配もないほど興奮している子供たちを見ながら、4kmも離れている子供たちが簡単に花子を見舞えるわけでもないし、明日も明後日も見舞いたいと言ったらどうしようと思ったりしていた。
 バスに乗ろうとしていた私にテレビ局のスタッフが、「先生ごくろうさんでした。この後ここで打ち上げやっていますから子供たち送ったら来ませんか?」と囁いた。愛想笑いをしながら手を振って断った。
 その後花子は信田さんと寄付などの力で全国を回り、1980年パラグアイに移住しそこで一生を終えたとインターネットが教えてくれた。
 この26日亡くなった「象のはな子」は私の「象の花子」を思い出させてくれた。
    はな子といふ日本象あり残花散る   未曉