金魚

 金魚という兼題が出た。
 金魚体験は少ないというか子供の頃の印象が強かったというか、母が大事にしていた金魚の思い出に直結してしまう。緑色の一番大型の硝子の浮き球をもとに父が知り合いに作ってもらった金魚鉢に多い時で三匹の金魚が泳いでいた。その金魚鉢は6畳間(と呼んでいた部屋)の南面全部に作られた出窓に置かれていた。
 私は高校時代、結核で半年入院、半年自宅療養。大学進学の時も一年浪人しているから多感な時期を家にいることが多かった。読書の合間は金魚が相手だったのかもしれない。私が小学生時代から飼われていた金魚の世話は母が一手にやっていた。何代か代わったと思うが高い高価な金魚を買ってきたことはない。その中に大きくなるにつれ、堂々たる尾鰭を優雅に揺らめかせるようになった金魚がいた。母は「きっとこれは琉金の子どもが紛れ込んこんでいたのよ」と言って喜んでいた。琉金だったかどうかは誰もたしかめようともしなかったが家族は前にもまして金魚を大事にした。
 金魚の世話は次第に一日中ぶらぶらしている私がするようになった。毎日の餌やり、水が緑色になり硝子の内側に汚れが見えるようになると水を替えた。朝からバケツに日向水を作っておいて、金魚をそこに移し、水草を洗い、ガラス球の金魚鉢は丁寧に洗ってから乾かした。バケツの水を金魚鉢に半分ほど移してから金魚を掌にすくって綺麗に透き通った金魚鉢の中に放す。清々しい気持ちになる。
 金魚もさぞかし嬉しいだろうと思っていたが、何回か経験する内に決まってバケツの中に金魚の糞がしずんでいるのに気がついた。金魚は新しい水に入ると決まってまず糞をする。水を張り、水草を沈めて水換えを終え、しばらくして見に行くと金魚は腹の下に糸状の糞を伸ばして水の中を、まるで金魚鉢の水の全てに臭い付けでもするように泳ぎまわっている。人間が考える気持ちよさとは違うものがあるようだ。
 私が後志に就職して家を離れ、二人になった父と母は兄一家と住むべく家を建て引っ越した。帰省したその家に金魚はいなかった。
     琉金や動くもの無き昼下がり   未曉