涼し

 旅三日目最終日。立石寺。朝早い所為か人が少ない。立石寺の代名詞石段を登り始める。大きな石に墓碑が刻まれ、垂直の岩崖には仏が彫られ、なにか収められているのだろうか穴が穿たれている。石段は大岩や大杉に曲げられ細められ見事なまでに同じ段差で奥の院へ誘う。石と石の間は余すところなく人の意を映した緑が植えられている。少し広いところといっても一坪有るかどうかの地面は菜園になっている。お寺の人だろうか女の人が後ろ手に菜の成長を眺めている。女の人は後ろの岩壁を背負っている如く腰をかがめている。天台宗立石寺、まさしく石の寺である。
    石の年木の年涼し立石寺    未曉
    山寺に土いただきて白牡丹   未曉
 その後楽しかった旅は帰路となる。松島に寄る。瑞巌寺境内の大杉が一面見事に伐り払われていた。鬱蒼たる杉に覆われた参道だったろうに津波の怖ろしさを教えられた。樹齢をこれ見よがしに晒している伐り株が痛々しいし口惜しそうである。一転、松島湾の船めぐりでは津波のことを伝えるガイドは一切なかった。海霧にぼんやりした島々は感動を覚える間もなく、眠気に負けてしまった。目が覚めて、船は舳先を出発した桟橋に向けていた。
 笹蒲鉾を土産にした。目についた「牡蠣カレーパン」を食べ歩きした。鴎に盗られないようにと言われ少し緊張しながら「こんなふうに食えるのも旅、終るんだなぁ」などと寂しくなった。
    松島や牡蠣カレーパン食うて汗  未曉
 後になって、津波によって流され沈んでしまったものの上を眠って過るなど自分の中で始まっている津波の風化を思った。「ガイドがなかったから」は言い訳にすぎない。