寒卵

 昔の農家で庭飼いの鶏卵は寒の時滋養がありそうだが、今、工場のような養鶏場で走り回ることもできず、他の鶏と喧嘩もできない鶏の産む卵に有難味は少ない。
 結核で入院した母のため、我が家で鶏を飼ったことがある。その時たまに産み落とされた卵は寒の時を選ばず母の病を治す滋養のかたまりのように思えたものだ。たいした卵を産まない内に、あるいは卵を産まなかったからかその鶏は父によって肉にされた。
 しかし、あらためて掌に受けてじっくり思うと殻を通して中から温もりのようなものが感じられ、力をいただける気がする。以前こんな句を作っている。
  両の掌に命受くごと寒卵    未曉
今日はその卵を流し台においてみた
  キッチンの暗がり統べて寒卵  未曉