2013/11/1・亀田川

 戸井線橋から富岡橋中道橋までの左岸川岸の道路は遊歩道になっているが、そこに接している住宅はすべて家の裏を亀田川に向けている。遊歩道は車が通れないし、家の向こうに立派な道路があるのだろうから裏になるのは仕方がない。しかし窓もないのである。亀田川の流れを生活から拒否でもしているように顔をそむけている。人間誰しも川に来れば流れを見るではないか。住民には亀田川は川として認められていない。
 亀田川は整備された。護岸が施され、流路も整えられている。ところどころには親水のためだろう、川辺に降りていく階段も施されている。しかしまったく維持管理がなされていないのである。水量もコントロールされているからだろうか樹木も草も育ち放題でる。函館市は市の中心に自然雑木林帯を意図的に走らせているかのようである。それはそれで川の風情もあるが、やはり、街中の警官としては見苦しい。それ以上に、今年各地であったような「今までにないような記録的な豪雨」で亀田川が増水したら、この木や雑草が橋を壊し、ダムを造って水が溢れることがは容易に想像できるし心配だ。函館市にはお金もないし、人出もない。行政には亀田川は見て見ぬふりをするしかない川なのだ。
 川床に繁茂している木々も草も秋の色づきを見せて美しい。西窓になるだろうが、その窓から亀田川の四季を楽しもうとしないのはいかにももったいない。そこから豪雨の時の心配も含めて行政にもの申すべきではないかと思う。函館市は歴史的にこの亀田川にずいぶん世話になっている。見たくない川、見て見ぬふりをする川ではないはずである。
 中道橋を過ぎると遊歩道もなくなり、空き地を踏み分け道が川岸を北上する。杖をついたお年寄りが薬の入った袋を提げてすれちがう。少し、昔の亀田川の雰囲気がするが、日の出橋からは最近出来たばかりの立派な歩道付きの舗装道路ななり産業道路に交叉する。そして亀田川は、木も草も伸び放題のまま産業道路をくぐる。なんとその橋を「歓喜橋」という。
 何をして歓喜というのだろうか。町中の川にあるべき四季の価値を市民が味わえる時を私は川にとって「歓喜」なのだろうと思うのだが。
 見事に色づいた黄葉の大木が偽りの歓喜を謳っている。