もどり寒

 大阪だけの異様さでなくなってきた。サッカー五輪予選、君が代が流れる試合前のセレモニーでテレビは選手の顔を映す。私は知らぬ間に選手の口元を見ていた。あわててチャンネルを変える。見続ければ私も馬鹿な校長と同等の人間になってしまうような気がしたからだ。
 ああいう校長が出てきてしまって、それを褒め称える知事が居るこれからは、君が代が流れるたびにテレビ画面は君が代を歌う人と歌わない人を分ける場になってしまうのではないか。そして歌わなければいけないような気になってみんなが歌うようになってしまうのではないか。
 歌を歌う(歌を歌わない)という根元的な自由は教育という名を借りて内心の自由を規制することから奪われ始めた。
いつも自由はこうして奪われていく。
    鳴かぬなら殺してしまうもどり寒   未曉