食積

 子どもの頃函館に親戚はいなかったのでお年玉をあちらこちらから貰うと言うことがなかった。他の家もそんなもんだと思っていたし、ふだん小遣いも貰っていなかったので両親からのお年玉と、年末父の知人が出す歳の市を手伝った駄賃で充分嬉しかった。そんな中で、父の所へ来る年始のお客さんがお年玉を呉れるときがあった。これも嬉しかった。ただ、父の部下でふだんの飲み仲間が多かったから当然その後は酒席になり、父が酔っぱらって浪花節を歌い出す深夜までお正月どころではなくなってしまうと言う嫌さも我慢しなければならなかったが…。
 母はお客さん用の重箱でもてなしていた。引き揚げてきて間もない頃は合成酒を飲んでいた父もその頃は二級酒を飲めていたし、正月は一級酒を用意して年始客を待っていた。子供心に重箱にはやはり一級酒が似合うななどと思ったものだった。「おーっ、一級酒ですか」などと言って飲み出したのを覚えているから普段は二級酒ばかりだったのだろう。特級酒も含今は酒にそんな等級は無くなってしまった。
   食積や一級酒といふ酒ありし   未曉