鼻水をふいてテカテカの袖口、皹切れて悴んだ手、ラムネ玉でふくらんだポケット、そして土に引かれた釘の線。口を尖らせてホントコ、ウソコなどと叫んでいた声。夕方、靴箱にしか置かせてもらえなかった何より大事なラムネ玉を数えていた時の真剣さ。ブリキ缶の中味の数に一喜一憂していた。
 肌に風の変化も無く、耳に鳥のさえずりも聞こえなかった。花なんか眼中になかった。友達だった雪が解け、ただただ泥が乾くのが待ち遠しかった。そして土が舞台になった時それが春だった。あの頃、季節は遊びそのものだった。
  釘刺しの次はビー玉春の土   未曉
 雪間に現れた土は狭くて軟らかい。そこでこそ楽しい釘刺し。やだて雪が押し退けられ乾くと「ラムネ」が始まる…。
 あの頃の子ども達が季節を感知できなかったのではない。子どもが季節そのものだったのだ。四季の移ろいと一体だった子ども時代の健やかさがいとおしい。土がいつも最も近くにあった。
  ポケットに零れビー玉春の土   未曉