川汲・台場山(2)

 登山口から頂上まで雪を利用して笹の上を直登した。標高差50mもあるだろうか。登った頂上からは大きな早春の景色が見えた。三森山がどっしりとした山容を見せ、遠望袴腰が普段と全く違う姿で雪の嶺を空に光らせていた。眼下には噴火湾に繋がっていくだろう旧バス路が山肌を降りて行く。8畳ほどの頂上の頂上標識の中に「誠」の字が墨書された板が一枚立っていた。

 明治元年10月、鷲の木に上陸した旧幕府軍は二手に分かれ函館に向かった。海岸線を下ってきた土方隊は川汲峠から函館に入るべく、ここ台場山で政府軍との闘いの火蓋を切った。この闘いに勝利した土方軍はそのまま五稜郭に入るのである。ちなみに一年半後土方は江差から二股口から攻め入る政府軍を現峠下台場山で迎え撃ち、この時は敗走している。その峠下台場山には11月登っている。
 蝦夷共和国を新政府が認めれば戦は避けたかったらしい。しかし、現実には闘わざるを得ないことを知った蝦夷地での初戦、勝って土方は三森山の向こうの函館にどんな夢を見たのだろう。台場山の山頂に立つ「誠」の文字は風雨に痛々しい。
      春望や台場山頂「誠」の字    未曉
 寒く強い風を避け、峠の日向まで降りて昼飯にした。いつになくみな無言で食べている。4人の思いはそれぞれだろうが4人とも一様に暖かい春の日差しを浴びている。
 下山。来た路を蕗の薹を収穫しながら帰った。
     草摘めば土のほぐれの匂ひけり   未曉