胃カメラ

 二週間ほど前から食べたあと鳩尾のあたりで食べたものが支えるような感じがし出した。いつもではない。三日に一日くらい不快感を覚えていた。それも二、三時間経つといつものように胃の存在も忘れてしまうような快調さに戻る。特に甥の結婚式にかかわる、レストランでの食事や披露宴での食事、ホテルの朝食などでは不快感の不の字も感じなかった。食事の質の問題ではない。家に着いてコンビニ弁当の夕食でも感じなかった。義父に付き合って普段口にしないソフトクリームの冷たさも新郎の父がセットしてくれた中華街の料理の辛さも影響無かったのに…。次の日から再発しだした。
 妄想と言う名の自己診断が始まる。
 「食べたあとに支える感じがすると言うことは食道に良からぬものが腫れ上がり食べたものの通り道を塞いでいるからに違いない。「癌」
癌はそれ自体痛くはないと言うではないか。食べたものが胃袋に落ちないうちは不快感を残し、落ちきった後はさわるものがないから何事もないのだ、きっと…。」そしてこの「きっと」に自分自身でうろたえる。
病気にも臆病な私の取り柄は、同じ眠れない悩みならはっきりさせた段階で悩もうと前向きになれることである。これは、16才で結核に罹って以来の「一病息災」姿勢で培われたことによる。
 私の高血圧を診てくれているのはR病院のI医師である。内科と言うことで診てもらっているが、本来は消化器が専門だと聞いていた。外来診察日は熟知しているので合わせて出かけた。
 モニター画面に私の受診記録が次々と現れる。以前呑んだ胃カメラの映像で止まった。これは、何の症状もなく検査目的で撮ったものである。この時はそれ以前の軽い胃潰瘍も治って、「異常なし。ピロリ菌も駆除できたようですね」という診断を貰っていた。I医師はわたしに問診しながら「この写真は一年半前ですね。どんな変化があって不思議無い(経過時間)ですから…胃炎のようなものも含めてですよ…。カメラのみましょう。早いほうが良いですね。明後日29日11時からですけれど空いてます。いいですね。」と言った。「はい」。私は言い訳するように「胃炎のようなものも含めてね」と言った話と「早いほうが良いですね」の言葉が頭に渦巻く中返事をしていた。
 今日、29日胃カメラを呑んだ。喉の奥をカメラが通過するとき内臓全体で異物を押し戻そうとする抵抗をしたがそれだけだった。涎も出ないうちに体内に入っていった。今までで最も楽だった。目を開けるとモニターに私の食道らしきピンク色のくだが見える。カメラを操作している医師が状況を説明する声と、カメラのシャッターを切る音が響く。まずカメラは十二指腸まで進んで戻ってくる。「十二指腸に特別なものはありませんね、はい、おなかで呼吸するように楽な気持ちでね…。はいカメラは戻りながら中を撮しますよ。はいカメラを上向きにして胃の入り口付近を撮します…」私の自己診断からすれば「ここだ」と思った瞬間、カメラを反転させるために医師が身体を大きく捻るように動かした。モニターは医師の身体が隠してしまった。「患者に見せたくないものが写っている…」医師の優しい声は「胃の上部にも変わったところはないようです」「はい食道と胃のつながる部分も異常はないようです」カメラに胃袋を引きずり出されるような気分とともに、検査は終わった。直後の診断もI医師による診察室での診断も異常が無いということだった。
 私の自己診断はことごとく杞憂に終わった。「きっと」などという想いの根拠は臆病故の妄想に過ぎなかったのである。I医師は「気のせいということで治ると言うこともありますから」と言って薬も処方しなかった。I医師が初めから、妄想だと思っていたわけではない。ごく当たり前に「カメラで写してみればわかる」という診断だったのだ。ただ私の臆病さが人の言葉尻や、行動を根拠のない妄想をつなぎ合わせ、さらに大きな妄想に膨れあがらせたにすぎない。
 ただ、その臆病さが「異常なし」の安心の日々を明日から過ごさせてくれる。明日は久しぶりの山登りだ。不快感を忘れさせてくれるだろう。