車で奥のほそ道・塩竃神社

takasare2010-05-09

 寒い中塩竃神社へ登っていく。静謐な神社の神域を歩くにはオレンジ色のヤッケは恥ずかしいが、寒さには替えられない。芭蕉はここで、和泉三郎(藤原忠衡)が寄進した鉄製の灯籠を前に、頼朝に追われて落ちてきた義経を討たなければならなくなった藤原三兄弟の中で父秀衡の遺命から一人義経に味方し、兄泰衡に討たれたた三男、忠衡の忠義に感銘を新にしている。
 早朝、仙台のホテルを出たので朝飯代わりに開いたばかりの茶店で、団子を食べた。開店準備の方が忙しいおばさん達と話をしながら意外と量が多く、甘さがつらくなってきたころ日よけのブルーシートに雨音が聞こえた。おばさん達の手前残すわけにも行かず、お茶のおかわりをもらって食べきって境内へ出た。意外と明るく雨も小降りである。
 小雨の中、傘をさして境内をゆっくり歩く。袴姿の神官は忙しそうである。その足を緩めるように挨拶してくれるので少し後ろめたい。
 本社前の広場から下りようとしたら一本の山茱萸が鮮やかな黄色い花を咲かせていた。しっかり手入れされている。もそもそと勝手気ままに咲いているものしか見たことが無かったのですぐわからなかったほどである。疎らな花間をとおして向こうに松島湾がひろがる。視線はそこは焦点が合っていく。

松島は雨が本降りになり、瑞巌寺も訪れたことがあるので素通りした。少し眺望のよさそうな所もあったが楽しめる景色ではなかった。
 ちなみに芭蕉は松島を見たその夜、宿に寝て「(宿は)二階を作りて風雲の中に旅寝するこそあやしきまで妙なる心地はせらるれ」と松島の絶景を称え、曽良の「松島や鶴に身を借れほととぎす」を挙げ、「予は口を閉じて眠らんとして寝つかれず。」と書いている。芭蕉は松島でこの時句は作っていない。句が出来ないほどの素晴らしさだったのか。この後訪れる当時、西の松島と云われた象潟では「象潟や雨に西施が合歓の花」の句を残している。楊貴妃と比べられる西施、松島と比べられた象潟…少し劣ると思われている方に句意が働くという捉え方が私は好きだ。