先日あまりに月がきれいな夜があったので歳時記を調べてみた。盆の月(陰暦七月十五日、盂蘭盆の日の月、今年新暦では九月三日)と言うらしい。ついでに詳しく調べたら宵待月(陰暦八月十四日、新暦今年十月一日)中秋の名月・望月(陰暦八月十五日、新暦今年十月三日)・十六夜新暦今年十月四日)以後一日遅れるごとに、立待月、居待月、寝待月、更待月と遅くなる月の出に合わせて月の美しさを楽しもうとしている。さらに、陰暦九月十三日の月を後の月・十三夜(新暦今年十月三十日)としてこれも楽しむべきものとしている。八月十五夜の月と、九月十三夜の月の片方しか楽しめなかったときのために片見月という言葉まである。
 勝手に数字や言葉の並びで陰暦八月十五日を中心に前後半月くらいのものだとばかり思っていたが、古人は二ヶ月にわたってむさぼるように月を鑑でたようだ。その代わりかどうか俳句では、月は一年中あるのに秋の中心的季語として限定している。他季にうかつに使えない。
 今年は古人に倣ってしっかり楽しんでみよう。こんな時だけテレビがなかった昔の夜が偲ばれる。
 「盆の月」は盂蘭盆の夜というだけあって、歳時記の例句には祖霊、彼岸や自分の人生と結びついた句が多い。
   盆の月腰の落ちたる影仁王   未曉
  
 先日登った写万部岳の登山口に男郎花が一株咲いていた。その名前と佇まい、白い花の色からなぜかふと自分を考えてしまった。もちろんすぐ登ることに専念して深く考えることはしなかったけれど…。句を作るときそんな考えを持ったことを思い出した。
   停年は登山口なり男郎花    未曉