カナディアンロッキー・山名(2)

 開拓と山名という視点で見ると、北海道も同じことが言える。自然を神とし自然と共に暮らしていたアイヌの人たちにしてみれば、和人による「開拓」と言う進入はドカドカ歩き以外のなにもでもなかったろうと思う。しかし山名に限って云えば、山名にいわゆる人名は少ない。むしろアイヌの人たちが呼んでいた山名をそのまま使っている例が多い。
 北海道中の山を登りつくす勢いで東奔西走しているSakagさんのHP「一人歩きの北海道山紀行」を見てもたくさんのアイヌ語の山名が残されている。(Sakagさんの紀行の書き出しは山名由来のことが多い。山名を大切にしていることが伝わる。)蝦夷地に移住してきた和人たちが、アイヌの地名や山名を大切にした結果なのか、単にどうでもよかったのかわからないが、少なくても自分たちの人名を臭い付けのように名付けて縄張り意識を主張するようなことはしていない。詳しく調べれば、狭い地域でしか使われていなかった山名や地名は葬り去られたものもあるだろうし、表記に際してアイヌ語の山名にわけのわからない漢字を当てはめて山名としたあたりにドカドカ歩き的要素はあるだろうが…。
 又、自然発生的に名前を付けられるのを待つという時間的余裕の無い山名の命名にも、山容や植生的特徴、地名、源流と成っている川名などなどその山との結びつきが具体的で誰にもわかるものを由来としている。山名を忘れても、その場に行ったりその山を見ればだれにも思い出せる名前なのである。山名が山を、そしてその特徴を思い出させてくれる命名になっている。同じドカドカ歩きでも自然に対する意識の違いを感じざるを得ない。自然の広大さや厳しさ、険しさの違いだけではないだろう。
 エヴェレストも人の名前である。あのクックと同じイギリス人でインドの測量長官をしていた人である。この世界最高峰の山にエヴェレストの名を冠したのは、彼の死後、彼の部下だった人によってである。世界最高峰の命名を任されたこの部下は「ジョージエヴェレストは私に地名、山名は現地での呼称を採用するよう命じた。しかし、いくら探しても現地での呼称を見出すことはできなかった。だから恒久的に愛される名前としてエヴェレストと命名する」と言っている。(ウィキペディア参照)きっと現地の人々には測量技術も乏しかったろうし、大都市カトマンズから遠く離れた山奥に隠れたように見えるだけの山に世界一の高さは感じなかったに違いない。そもそも世界一などと言う世界観が必要だったかどうかもわからない。それよりも、その山の前に聳える山姿の美しさに眼を奪われ、アマダブラム(母の首飾り)と言う素敵な名前を付けることのほうに意味はあったのである。私もエヴェレストを見たくて行ったタンボチェなのに、帰ってきて絵にしたのはアマダブラムだったほどである。
 現地での呼称が明確でなかったこの山に、中国はチョモランマ(大地の母)と名付けた。ネパールはサガルマータ(世界の頂上)と名付けた。しかし、イギリス人はエヴェレストという人の名を山名としたのである。アジアと欧米の自然に対するDNAの違いはたしかにある。
 カナディアンロッキーの旅を終えて思い出せる山は「スリーシスターズ」であり、「キャッスルマウンテン」であり、「エンジェル氷河」である。山名がその姿を思い出させてくれる。きっと実際に見ていない人でもこの山名から想像できるだろう。
 蛇足ながら、北海道のアイヌ語を由来とする山名を訳のわからない漢字表記から解放してできるだけアイヌ語の発音に近いカタカナ表記にしてはどうだろう。漢字表記は音も意味も曲解の元になる。アイヌの言葉を身近にできるしその山名のほうがきっと山の様子を的確に表してくれるに違いないと思うからである。