カナディアンロッキー・第一印象

 ヒマラヤの造山活動と同じように、プレートとプレートのぶつかり合いで押し上げられてできたロッキー山脈もまた同じように荒々しい。刃を空に向けた稜線が一点で集まり、登ることもそこに立つこともできないような鋭い峰峰が重なっている。その間を万古の氷河が埋めている。
しかし、明確にヒマラヤとは違う。初めてロッキーの山を仰いで「ヒマラヤとは違う」というのが第一印象である。地質の違いや造山活動のプロセスの違いは私にはわからないから科学的な差違を感じているのではない。明るいのである。開放的なのである。谷が広いから空が広い。険しい山なのに山が近い。どの山も針葉樹が山の中腹までを覆い景観が単調である。何よりも生活感がまったく感じられない。家はもちろん畑も牧場もない。ただハイウエイが景色を切り裂くように伸びている。枝分かれした支線が針葉樹の森陰に入り込んではいるが、それらの道を走っているのは遊んでいる人たちの車だけだ。そのハイウエイには歩道がない。ここを歩くのは歩くことを遊びにしている僅かな人だけだからだ。
 ここよりも高所で、いわゆるライフラインが一つもないヒマラヤの山中には生活感が溢れていた。僅かな土地は耕されていた。自分が歩ける範囲の世界しか知らない子どもが我々を迎えてくれた、ネパールの山とはまったく違う対極の生活感の無さが目の前に繰り広げられた10日間だった。