大千軒岳・知内コース

 このコースの厳しさは帰りに十分味あわされた。特に、広川原から狭戸までの高巻き道のアップダウンはきつかった。登りのときの記憶がまったくよみがえらないほどの別な道になっていた。
我々の脚力を考えてYamaさんは5時集合地出発の登山口7時という計画。実際の歩き出しはそれよりも15分早かった。昨夜雨が降ったのか木々が濡れている。私は古い橋は知らないが、立派なしっかりした木の橋が吊橋に代わっていた。勾配の急なところには硬質の樹脂のようなもので杭うたれた丸太がステップを作ってくれている。新しいにもかかわらず多くが抜けたり曲がっていた。この道を整備している人たちの労苦を思うと同時にこの山の厳しさも感じさせてくれる。
 しかし知内川の川原の砂を踏み、岸の巌を回り、時に高まいて杉落ち葉のアップダウンは変化に冨んで楽しかった。念願の緑ニリンソウを撮らせてもらい、サンリンソウを教えてもらいながらいつもの我々のペースである。広川原での渡渉はKuさんからストックを借りて難なく渡り、そこからの川床の林間の道はまるで散歩道を歩くようである。国道を走っているときの濃い海霧はもう晴れて青空が見えている。さっきまでの雨や展望の心配を忘れ、暑くならなければなどと贅沢な心配までしながら歩いた。金山番所では数匹の青大将が十字架を守護するかのようにその台座の上で体を干していた。とぐろを巻くというよりは少しだらしなく体を伸ばしていた。蛇はゆっくりしていたかったのだろうが格好の被写体になってもらった。こんなときつくづく我々登山者と言うのは自然の動植物に対しては「侵入者」なんだと意識してしまう。すぐ「意識しているうちはいいのさ」と言い訳を自答して歩き出す。少し、給水の量が増えてきた。高度400M何。登山口から200M弱しか登っていない。すこしがっかり。小さな渡渉を繰り返しながら千軒銀座に届く。やがてここにたくさんの登山者が来るようになるだろうと思ったYamaさんの学生時代の山岳部仲間が命名した「千軒銀座」だそうだ。この手のポイント名の由来話が私は大好きである。言い出す人だけでは残らない。言い継ぐ人が居て、年月を経て定着する。自己満足的なロマンを感じる。プラス「銀座」という言葉には大正という別なロマンも感じる。
 千軒銀座に集まる沢は流れと言うより滝として落ちている。これからの登りの厳しさを予感させる眺めだ。
 千軒平までの急登が始まった。木の根や岩が露出した急登は自分勝手な歩幅を許してくれない。これが苦手だ。このごろ比較的楽な山歩きが多かったし、プール通いを中断していたせいかきつい。少し段差のある場所では久しぶりに膝が自分の体重を呪い出した。しょっちゅう休みたくはないが上を見ると、この急登は限りなく続くように思えて登る意志を萎えさせる。小休止を何度か繰り返しなんとか森林限界を越え、がんばり岩を過ぎた。ガレ場を避けて作ってくれた道は切られたばかりの太い笹竹の切り口が足元を不安定にして疲労を鞭打つ。小さな雪渓は固く登山靴が入っていかない。中途半端なままで登ろうとすると滑ってこれも堪える。わずか20Mくらいの雪渓登りが先が見えるだけに焦りも出てきて精神的な疲労を加える。いつの間にかYamaさんはもう雪渓を上り終えて姿が見えない。千軒平が近いぞという感覚だけで登っていた。 
 十字架が見えた。平坦になった。フギレオオバキスミレが迎えてくれた。オオサクラソウの紫が鮮やかだ。花を愛でる余裕が出てきたことにきづいた。
 千軒銀座を境に肉体的にも精神的にも疲労度は雲泥の差の登りだった。そして疲労の要因に距離の長さのあることにも気づいた。この道を帰らなければならない。お花畑で会った人たちが旧道や新道を降りると聞いて羨ましくなった。