アイヌネギ(1)

 東京から帰ってきたら留守番電話に「アイヌネギ待ってます」という妻の兄の酔っ払った声が入っていた。少し照れとか遠慮があったのかもしれないし、酒の勢いを借りての電話かもしれない。逆に言えば、アイヌネギは時期になったらそれほど食べたいものでもあるのだ。彼は北海道で育ち、釧路で生活した時代もある。アウトドア志向の男の舌が覚えてしまったアイヌネギの味は、横浜なんぞに住んでいたら食いたくて食いたくてしようが無いほどのものであろう。彼のことだ、会社の部下辺りを呼んでジンギスカンパーティーくらいもくろんでいるはずだ。その気持ちは、アイヌネギが好きな私としても十分理解できる。だから電話が来なくても送ってやるつもりでいた。
 だから困っていた。いかんせん今年は季節が早い。花や木を意識する年齢になって始めて、急かされるような気持ちで花便りを聞かされる毎日である。昨年の山記録を見たら4月11日に三森山に行っている。「今年は例年より10日くらい早い」とすると、ゴールデンウィーク真っ最中である。私たちグループが山行しない日曜・祝祭日に当たる。毎日が閑な退職者グループだが、全国的に休みの日は自由にならないことが多いから日程が合わない。日程が合っても雨では行けない。かといって、単独で熊の恐怖にさらされながらのアイヌネギ採りは真っ平だ。恐怖だけでは済まない事件も起きている。しかし、「行けない」と思うと頭の中でアイヌネギがどんどん成長しその葉は像の耳のようになっていっそう焦ってしまうのである。
 6日、やっと行けることになった。前の晩は結構な雨が降っていたが、午前中は晴れ、午後遅く降るかもしれないという天気予報だ。
 しばらく登りの少ない歩きばかりしていたので、急勾配は堪えたがいつものように花撮影タイムを休みに登った。そういえば昨年はこんなに花が咲いていなかった。この咲き具合ならアイヌネギはもうお化けのようになっているかもしれない。一昨年などは地面よりも雪に覆われた部分のほうが広く、雪庇に注意しながら歩いたほどだ。そういえばあの時は、雪の下のホワイトアスパラのようなアイヌネギが採れたのを思い出した。