箸置き

 二女から鎌倉彫の箸置きが送られてきた。友達と遊びに行った鎌倉でのお土産だそうだ。一番嬉しかったのは、安月給で忙しく、休みも取れずに時には会社で寝泊りするような暮らしの中からそういう余裕が持てるようになったというっことだ。
 私がメタボリックシンドロームなのは私の食い意地が強いせいだ。それは私の食べ方にある。
 私は早食いである。一度箸を持ったら食事が終わるまで箸は置かない。口に入れてから飲み込むのも早いし、それよりも早く箸は次の食べ物を掴んでいる。戦後の食糧難のときに成長期を重ねる年代に共通している「今食べる物があるときに食べておかなければ…」意識が底流にある…、と言えばかっこいいが結局は食い意地が張っていると言うことだ。妻に「もっと落ち着いて食べて…」と言われ続けてきた。
 私の自分の分の食事は直ぐ終わる。外の人はまだ食べているから食卓にはまだ料理は乗っている。問題は、早すぎて自分自身に食べたと言う実感が持てていないと言うことだ。だから、つい箸が伸びる。ここでも妻に「私、それまだ食べていない」と怒られる。妻はあきらめることもあるようで結局私は食べてしまう。そして食事が終わる頃、満腹感以上の満腹感に後悔することになる。
 テレビのグルメ番組の食事場面で一口食べたあと右手で箸を上から持ち、左手を軽く添えてそっと箸置きに箸を置くのを見る。上品だし、たいていそういう人はスマートである。反対にいわゆるデブタレといわれる人たちは箸を置かない。時には箸を持ったまま歩いて次の食事場所に移動したりする。もちろん演出もあるだろうが、ふつうの食事場面でいえば、置く演技はできるが置かない演技は難しいと思う。箸を置くというのは習性なのである。育ちなのである。私はデブタレに属する。だから体型もデブタレに属する。
 そこで二年前、私は「箸置き」宣言をした。それまで、箸立てから自分の箸を取っていたものを、マットを敷き箸置きに端をセットしてから食事することにしたのである。初めのうちは、気がつくと箸置きを使ったのは初めと終わりだけだったりしたが、次第に置く回数は増えている。だからと言って、腹回りに変化はないし、上品になったわけでもない。ただ、自分のためにも一緒に食事する周りの人のためにも落ち着いた食事は大切なことだと思うので続けようと思っている。
 宣言以来、娘のお土産が箸置きになった。鎌倉彫でも箸置きくらいなら娘たちの安月給の負担にならないだろうと遠慮なくもらっている。このごろは、今日はどの箸置きを使おうかと選ぶのも楽しみである。