喜香庵(2)・札幌

 木製の重い戸を引くと玉砂利に飛び石が置かれ奥へと誘われる。一階から登ってくる中階段の合流が邪魔だが入っただけで純和風の小粋な蕎麦屋の雰囲気に包まれる。もう一つ木製のドアを開けるとビルの2階ということを忘れさせる内装になっている。突き当りが打ち場、右はレジがあってその奥に厨房。左は両側にテーブルが4っつ。奥の突き当たりに三つの座卓の小上がりがある。そこの窓は階段が降りている通りに面している。小上がりに家族連れが座っていた。会話からすると小学生らしい男の子も含め親子が蕎麦の美味しさを語り合っている。打ち場の隣に少し暗いコーナーがある。酒を楽しむ人の席なのかもしれない。考えて作られている。いい雰囲気の店である。
 メニューには「並粉」と「田舎」の二種類あることが断り書きされている。店主が来たので「並粉」のせいろを頼んだ。するとすかさず「少なめなので大盛もありますが」という。私もすかさず「お願いします」と答えた。待つ間改めてメニューを見た。大盛り300円増しとある。蒸篭の値段が700円だから1000円のせいろを食べることになる。ほどなく供された蕎麦は、見た目はきりっとしていて仕上がりはとてもいい。一口啜りこむ。思わずもう一口口にする。蕎麦の香りは薄いが舌触りや口当たりは見た目どおりすっきりしていて美味しい。そばつゆは辛口で蕎麦のおいしさを引き立てているし、ワサビで食べると蕎麦の甘さが味わえた。
 かけそばを「田舎」で追加した。これはかけつゆが絶品だ。しょっぱずきの方だが、決してしょっぱくない。それでいてもさもさ感の田舎そばが美味しく食べられる。少し白濁した蕎麦湯で割ってっていただいた。かけそばのつゆの蕎麦湯割りでは今までの中でも屈指の感じがした。全部飲んでしまった。せいろの盆を下げるときに蕎麦湯をそのままにしていったのは自信の表れかもしれない。
 店主には悪いが、どんなに美味しくて人気があっても、せいろやかけ蕎麦は高くしてはいけない食べ物だと思っている。一見の客に、メニューのせいろは少ないからと大盛りを薦め、外の店より心持多目に食べさせて合計1000円取るなら、初めから店主が進める盛と値段を決めなおしたほうがいいように思う。この次来た時はどうしよう。結局1000円の蕎麦を食べることになるのだろうか。それとも…。
 少し複雑な思いと、口に余韻を残しながら十年越しに味わえた蕎麦屋を後にした。