二人の娘が東京へ帰った。空港ターミナル前の車を降りたところで「じゃぁな」で別れるのだがいつもある感慨に襲われる。人に言えば「淋しいんだろう」と一言で決め付けられそうだが自分では少し違うように思う。
 私の中では「別れ」といより「送り出す」という気持ちの方が強い。
 寝る、食べるということさえ不規則な生活へ…。実力と評価だけで、安月給の厳しい仕事へ…。今の自分の年金、退職生活とのギャップを考えれば異星へ送り出すような気持ちを持ってしまう。若い頃私も、進路の第一に「グラフィックデザイナー」などという仕事を夢見ながら、健康にも、貧しさを余儀なくされること必至の東京生活にも耐え抜く自信が持てずに挫折した思いを持っているからかもしれない。
 こんな思いを娘たちに言ったら一笑に付されるだろう。ギャップが大きければ大きいほど、地方都市で暮らしている退職者には想像もできない場で娘たちは生きているということかもしれない。一応自分の能力を生かせる仕事をさせてもらっているようだし、不規則この上ないがそれなりに落ち着いた生活になっているようだ。余計な心配かもしれない。
 (ちゃんと食えよ)(ちゃんと寝れよ)「じゃぁな」と私が言う。娘たちは「じゃぁね」と言う。その中に(年も年なんだから、無理しないでよ)的なニュアンスが潜んでいるような気もし出したが…。