無くなったもの(2)

 その学校は、空から見ると東西に長く「日」の字をしていた。その中庭は校舎に囲まれて西側に在った。職員室は北側の校舎の一階に在ったので窓からその中庭が見えた。
 最初にその職員室に入ったときは「暗い」と言うのが第一印象だった。昼間でも常に蛍光灯の明かりが必要だった。そしてその原因が中庭だった。中庭にうっそうと葉を茂らせた木々が光をさえぎっていた。中央の渡り廊下に近い部分には紫陽花など丈の低い木だったのでまだ良かったが、西側は二階の屋根より高い所で日光を奪われプレイルームに陽射しは望めなかった。木の種類は私にはわからかったが、当時在職していた先生に聞くと、クルミヤマザクラミズナラ、ヤチダモ、オンコ、ケヤキ、針葉樹も何かあった草である。あの狭い中庭は十本ではきかない樹木の林になっていた。「職員室の暗さ、プレールームの不健康さの原因になっているこの木を切ってしまえばいいものを…」と思っていた。私が赴任する以前にも「木を伐る。光が入るように剪定する」という話があったそうである。当然だ。ではなぜ伐られていない。反対する先生たちがいたからである。きっと、日当たりや、床の落ちたプレールームより優先されるべきものがその中庭にあるからにちがいない。もともと弱めの主義主張しか持たない私は視点を変えた。
 その中庭の比較的日当たりの良い所に池がある。素掘りで作った池と聞いたが水位は保たれていた。もともと谷地だったためだろう。その池の中には金魚が泳いでいた。トンギョがいてドジョウがいた。ヤゴもいた。その池には当然のように橋がかけられていた。周りには低木があり、奥には薄暗い林があった。そこでは子どもたちがわずかな休み時間にでも遊ぶことができ、その様子を職員室から手に取るように見えた。そして、視点を変えると中庭の価値が見えてきた・
 金魚をじっと見ている子。金魚を棒でつっつき追い掛け回す子。木に隠れ、木を味方にしてのかくれんぼ、おにごっこ、土で汚れるから禁止になっている林の中へ逃げて行く子。「先生に言ってやる」と悔しがるまじめな子。靴を履き替えても林に入ろうとしない低学年。橋を渡る子、渉れない子。時々落ちる子もいる。
 落ち葉を拾っている子。落ち葉を女の子の背中に入れようとする子。昆虫を見つけた子。嫌がる子。鳩が鴉に襲われ無残な姿で落ちていた。先生に息せき切って知らせる子、泣き出す子。見せてはいけなかったと言う先生、見せることも大事だと言う先生。児童会の活動で、池の橋の名前を募集した。丸木を二本渡した橋に「割り箸」の名の応募があった。陰に先生がちらついていた。
 古ぼけた校舎で囲まれた一画が別世界だった。校舎の外側は、毎日の登下校に交通事故の心配が耐えない道路が縦横に走っているのに、わずか10mしか離れていないところに大げさにいうと独立した生態系を持つ自然そのものがあった。それが大きな力で子どもを育てていた。
 その中庭が無くなっている。誰かを非難しているのではない。期待して新校舎を見に行ったわけではない。無いことを目の当たりにしてあの中庭があった教育環境を鎮魂したかったのである。退職者の戯言かもしれないけれど…。