無くなったもの(1)

 以前勤めていた学校が新築されたと聞き、一度見てみたいと思っていた。今日チャンスがあってそれが実現した。新築された校舎には実はあまり興味が無かった。エレベーターやランチルームなど時代の要求に応える施設になるのは当たり前だし、奇をてらったすぐ使いきれなくなるような斬新さは見たくもない。
 見たかったものは…。見られなかった。無くなっていた。跡形も無く。一部だけ残すとか、移して残すとか、そこだけ残すとかできるものではなかったので、あきらめてはいた。私よりももっとその価値を知っている人たちからも「残すべきだ」との声も上がらなかった。それくらい無理なことだった。それでも「やはり…」とがっかりした。
 この学校は函館のあの細いくびれた狭い街から押し出されるように住宅地を求めて開発された荒地に立てられた。一気に住宅が増えそれに伴い児童数も増え続けた。一時、北海道で一番児童数の多い、マンモス校と言われた時もあったほどである。
 児童数の増加に追われる形で全体計画ももてないままの増築だったので、全校朝会も開かれなくなり体育館も増築されたほどである。給食の調理室は体育館の裏手にあり、4時間目体育の授業中にその脇を食缶を乗せた台車が低学年の教室に向かうと言うようなすごい施設の配置になっていた。校長室が職員室から遠かったのは平教員にはあまり影響は感じなかったが、保健室が遥か離れていたのは考えられなかった。木造モルタルもあればコンクリート部分も在った。
 それ以上に傷みが激しかった。もともと人が住みたがらなかった谷地原で、地盤も悪かったし、急造校舎なので初めに建てた第一線校舎から順に傷み出していた。私が赴任したころは児童の減少が始まっていたので、傷みの激しいところから教室使用は止め、教材室という名の物置になっていた。古い体育のマットを敷いてプレイルームとした教室もあったが、床は落ち、マットは湿気を帯び、かえって不健康な部屋になっていた。便所は最悪で、寒々しいタイル張りの和式、ボットン式。円く開いた穴から闇とものすごい臭気が立ち上って来ていた。各家庭に水洗が普及し暖かく明るい便所が増えてくるにしたがって子どもたちはその便所に恐怖を抱くようになってきたのは想像に難くない。あるとき、その使わなくなった一線校舎の教材室にしっかりしたウンコが見つかった。男の先生方がロッカーで一部仕切って更衣室にしていたその隙間からしのびこんだらしい。「催したけれどあの便所の花子さんの噂もあるぼっとんトイレはおそろしい。」切羽詰った結果だろう。私はその学校の後移動したのが新築の学校だったので、その子どもには本当に同情できた。
 だから、校舎が新築されたのは喜ばしいことなのである。体育館だけは私がいるうちに改装されていたが、校舎新築を見越した全体計画の中で行われていたので新築の校舎に繋がっていても違和感は無い。どこにもがっかりする要因など無いのである。あの中庭の素晴らしさを知っていなければ…。