雄鉾岳・頂上には立てた(2)

takasare2007-10-15

沢を歩く
 渡渉を何度も繰り返しほとんど沢を歩いた。水も少なかったし涸れ沢状態もあったので本当の沢歩きとはほど遠い歩きだったろうが、私には常に緊張を強いられるこの歩きが苦手である。眼が悪くなってからは特に石から石、高い所から低い所への体重移動に不安を覚える。これに「もしかしたらこの石滑るのでは…?などと邪念が入ると行けなくなってしまう。邪念は常に入る…と言うより入れる。結局「いざとなったら濡れるだけさ」と開き直るのだが…。
 水に落ち込む岩岸にわずかな足がかりを見つけて靴底の何分の一かを置き、手で岩に指を掛けて体重を移動させる。今は面白かったと言えるが、そのときは足を滑らせ指は無抵抗に体重を見放し水に膝まで落ち込んだ自分を想像しながら渉っていた。岸に上がると急登、急勾配の下り、倒木が道を塞ぐ。その大木をまたぐとき、このまま座っていたいと一瞬思うが、また歩き出す。岩を抱き、苔の岩肌で体重を支えた軍手はぐしょぬれになっている。換えは持ってきたが帰りのために温存し、左右を取り替えて使った。
ルンゼ
 もう一つ初めての経験がルンゼである。ルンゼの言葉の意味も知らずにルンゼの下からルンゼを見上げ登りだした。実際は下りのほうが堪えたしスリルもあったが、自分の体重が恨めしくなる登路だった。実はあまり覚えていない。途中の倒木をくぐっているうちにが自分の体の向きがどこを向いているのかわからなくなってしまっていた。大岩二つがまさしく巨人の尻の様に立ちはだかった所では邪魔になったザックを先に上げ、Sakagさんに引っ張り上げてもらった。少しでもSakagさんの負担を少なくしようと知りの割れ目に足をかけようとしたがむなしく空を切ったまま引き上げられた。そこには、先行のグループが下ってきていて我々の登りを待っていてくれた。何人いたか挨拶を交わしたかどうかも覚えていない。つらかったのか恥ずかしかったのか。岩を捩っているうちは疲労は感じなかったが、海見平に出るまでのわずかな急勾配路では足を前に出すのがやっとと言うくらい疲労していた。
 帰りは、同じ場所で足が吊った。ロープで降りたが、ゆっくり確実に靴底でホールドしながら降りればいいものを、滑ってしまった。疲労した筋肉を緊張させたせいか吊ってしまった。帰りの大半が残っているし、焦らず筋肉を休ませ、膝上の内側を延ばすようにつま先をYaさんに押してもらった。そして伝家の宝刀ヴァンテリンを塗布した。少し良くなった。しかし、ルンゼの降下はまだ続く。右足をかばい、両手と尻と左足の四点確保で降りてきた。尻の汚れのほとんどはこのルンゼの土である。
改めて「私の登山」
 私のように、体力より体重が勝り、精神力のほとんどを食い気に向けている人間がなぜ山を登れるんだろうと改めて考えさせられた。
 「休み」の声を聞くのが大好きである。それなのに、歩き出すときはごく自然に歩き出せる。倒木をまたぐとき一瞬このまま座っていたいと思う。けれどあくまでも一瞬の気の迷いでまた歩き出す。そこで再び歩き出す自分が結構好きである。歩く緊張感や登りのつらさに耐えられるのはなぜだろう。前の人の背中を目の端に捕らえながら疲労困憊の足を前に出すことがなぜ自分にできるのだろう。
 この登りのつらさには、明確に、「頂上と言う終わり」があるからだ。下るときの緊張の連続も「登山口という明確な終わり」があるからだと思う。私の場合、ピークハント的な征服する感じの登山ではない。極めて自虐的な辛さを楽しむ要素もあるに違いない。頂上があり、下山したら温泉で終われるから辛さを楽しみに変えられるのだと思う。
 今は、雄鉾の頂上に立てたジワリとしたうれしさを感じている。ただし、沢歩きの緊張、ルンゼの疲労困憊の末にやっと頂上には立てたと言うのが実感である。立つ、座るに筋肉が悲鳴を上げているから、颯爽と「頂上に立った」という実感にさせてくれない。
 追、私一人では登山口にも行けなかったろう。皆さんありがとうございました。