ぼんだら

 正確に発音すると、「ん」は「う」と「ん」の曖昧音である。つまり棒鱈つまり助宋鱈を寒風で干した干物である。少し昔までは、漁師町のどの家の軒先にもぶら下がっていた魚である。干しあがると堅くなって手も出せなくなり歯も立たなくなる。棒否、棒以上に堅くなるから棒鱈だらという。浜のものだから、浜言葉で「ぼんだら」になる。発音もアクセントも浜言葉に忠実に従えば、浜のにおいまでしてくると思うのでぜひ曖昧音で発音した方がいい。
 その少し昔には、私の義母の家の軒先にもあって、行くたびにもらってきては酒のつまみにしていた。かなづちでたたいて身をやわらかくほぐしてから砕けた骨と皮を身からはずす。家の中ではできない。破片は散り広がるし生臭いにおいもする。すると、義母の娘である私の奥さんは「母さんのとこでやってくればよかったっしょー(散らかったってにおいしたっていいんだから…)」と言う。私は男兄弟で育ったからわからないが、母と娘はどこもこうなのかと思うが、たしかに義母の家の周りでこのにおいはほとんどあたりまえのにおいとして周りに同化してしまうだろう。その次からはもらったらすぐ義母の家の外で、義父の商売道具のハンマーで済ませてから帰宅することにした。
 今は義母も高齢でぼんだらは作らないが、どこからか買うのだろう、時々持たせてくれる。浜の人だから、量は多い。いつも20匹くらいはある。しかも頼めば、ローラーのような機械でつぶしてくれるらしく、ハンマーでたたく必要も無い。もらってくると身から骨と皮をはずし、はさみで一口大に切る。そこに醤油少々と酒を振り込み全体を湿らせてからマヨネーズで和える。一時間もなじませれば最高の酒のつまみになる。テレビでもみながら夜夫婦でこれを肴に飲みだすと二人で作っただけ食べてしまう。朝、もたれるだろうな等と後悔を先にしながら食べてしまうのである。
 夕べもウッドデッキの上でこれで晩酌をした。少し寒かったが、焼酎のオンザロックがこれにはよく合う。
 作られ方も食べ方も食べる人間も決して上品とはいえない。20年も昔横手の旅館に泊まったときの朝食に、戻して甘辛く炊き上げた魚の切り身が出された。干した鱈である。もう「ぼんだら」などと浜言葉で呼べないような上品な山里の料理になっていた。戦後の代表的な魚料理だったし、私の母も作っていた料理なので旅館の人と話が弾んだことを思い出した。そういえばあの時は義父も義母も一緒だった。海に遠い人は魚は大事な食品なのである。だから「ぼんだら」はご馳走なのである。というような話をされたような記憶がよみがえってきた。
 こんなことをぼんやり考えながら飲むには、「ぼんだら」がいいのである。