烏帽子・袴・横津 招かれざるもの(2)

 横津の沼の例は比べるとささやかかもしれない。私を含め「無知」を自覚できないものの「やってしまった」行為なのかもしれない。「こらっ、だめだぞ」程度のものかもしれない。でも…。招かれざるものは蓮の花だけではなかった。烏帽子への第二湿原には盗掘の跡があった。なにより航空局の諸施設を結ぶ舗装道路の道端は、本来ここに咲いていないはずのマーガレットや外来のタンポポが咲いていた。工事で移動された土が含んでいた種だろうがとてもきれいに高原の道を演出していた。また、どこから運ばれてきたのかクルマユリが一株だけ横津頂上ふきんに咲いていた。ささやかなどと言っていられないほどたくさんの招かれざるものを今日歩いた中で見ることができた。専門家が見ればもっとあるのかもしれない。
 ところで私はどうだろう。沼に蓮を持ち込んだ人、ニュージーランドルピナスの種をばら撒いた英国貴族のエゴおばさんと違うのだろうか。自分の信仰心を押し付けたり、植民地支配者のような傲慢さで生態系に介入するようなことはしたくても出来ないだろう。しかし、何より恐ろしいのは「無知」ということである。蓮を持ち込んだ人も、ルピナスをばら撒いたエゴおばさんも問題は「無知」なことであり、その点では「私は違う」と言い切る自信は無い。
 「無知」があちこちの土をつけたままの洗いもしない登山靴を履いてまた自然の中へ入っていく。自分自身が招かれざるものとして山に迎えられているのかもしれないのに…。