駒ケ岳・ガス抜き登山会

 大沼のトンネルを抜けたときいつも見えるはずのものが切り取られ、灰色の空間があるだけだった。一瞬感じたのは物足りなさである。駒ケ岳がガスの中だと気づいたのはその後である。登るのはともかく展望はあきらめなければならない。
 今日の登山会の参加者は300人だそうだ。登山口は送迎のバスと参加者でいっぱいになっている。規制が9年にもなるのに見た目駒ケ岳は平穏である。「登らせろ」「登らせて何かがあったらどうする」「登らせたい」という不満やイライラや職務へのプレッシャーやらが爆発暴発しないうちに一回登山会をやってお互いのガス抜きをしようという下心を行政側も参加者もわかりあっての開会式だった。
 300人が一本の山道を登るのは見応えがある。駒ケ岳の登山道は広いがそれでも先頭と最後尾では中に霧や雲が漂っても不思議は無い長さになる。一つの花でその列の一部が崩れて切れる。はじかれたように道から外れて汗を拭く人が点在する。子どもが急いだり遅れたりムラのある歩きをして疲れ歩く高齢者のリズムを乱す。主催者側はもう少し統率の取れた歩きを期待したようだがこれだけ年齢差や、山歩きの能力差があれば列が間延びするのは止むを得ない。小学生の遠足よりだらしない。でもこれでいい。こんなところでみんなと一緒に歩くために何かを強制される必要はまったく無い。おかげで、私はゆっくり歩けた。5分おきくらいの休憩もみんなと一緒に休み水を飲み羊羹を食べ、余裕の持てる登りが楽しい。でもこの楽しさは駒ヶ岳でなくてもいい類のものだ。
 馬の背について今日のアリバイ作り「火山勉強会」をした後、予定では火口見学だったが、登りで時間がかかったため先に昼食にした。遠望では横津、袴腰、泣面は同定できたが他は雲の中。大沼は雲海と化していた。山の上も隅田盛はひと時きれいに見えただけで、剣が峰も砂原岳もガスは離れなかった。昼食後の火口原見学歩きはガスが水滴になって体にまとわりつきヤッケを着て歩いた。イワブクロ、エゾチドリ、イワギキョウ、シラタマノキ、ヤナギランが荒涼たる不毛の火山灰を彩っていた。花が無ければ火口は爆発のエネルギーのものすごさを想像させ、噴煙が霧を駆逐する様はモノクロの無機世界でしかない。しかし、火山活動の恐ろしさを感じさせるものは何もなかった。感じるものがあったら登山もできなかったろうが。
 頭の真上は晴れていたが、最後まで展望は開けなかった。撮せたのは南方向の一部だけだった。きっとみんなから抜かれたガスが展望を悪くしたのだろうと思う。とすれば自業自得か。でも登山者から抜けたガスは高が知れている。2〜3日もすれば雲散霧消してしまうだろう。私の実感としては、300人分の抜けたガスの一部をまた吸い込んでしまったようにも感じる。
 肝心の駒ケ岳自体から爆発暴発しないようにガスが抜けるのはいつのことだろう。その日まで「私の駒ケ岳」は実感できそうも無い。